むかし、重柳(しげやなぎ)に百姓の万蔵ときよの夫婦が住んでいました。この夫婦には、お米、お玉という仲の良い姉妹がいました。
姉のお米は、家の中にいて食事を作ったり、針仕事をするのが好きで、おとなしい娘でした。妹のお玉は元気がよく、田畑の仕事が好きで、父や母を助けてせっせと働いていました。
ある年の春のことです。田んぼの仕事が始まって忙しくなってきました。朝は日の出る前から、夜は暗くなるまで、田起こし、苗代作り、種蒔きと、猫の手を借りたくなるほどの忙しさでした。そんなある日、万蔵が馬に鋤(すき)をつけ、田起こしをしていると、まだ生まれたばかりの小さな黒いヘビが、にょろにょろと馬の下を横切ろうとしました。
(むかしは、このように馬に鋤をつけ、田起こしをしました=豊科郷土博物館蔵)
万蔵は、はっとして「どうよ、どう」と、馬を止めましたが、間に合わず、鋤でヘビを二つに切ってしまいました。「いけねえことをしちまったいなあ」とヘビを見ると、しばらく苦しがっていましたが、そのうち動かなくなってしまいました。
「かわいそうなことをしちまった。ここのままじゃ、いけねえで、埋めてやらずよ。どうか成仏(じょうぶつ)しておくれよ」と言って畔(あぜ)の横の柳の木の下に穴を掘って埋めました。手を合わせ拝んで、ふと下を見ると、いつの間に来たのか、大きな黒いヘビがとぐろを巻いて、じっと万蔵を見ていました。
(黒い色をしたヘビというのは、ヤマカガシのことでしょうか=大町山岳博物館蔵)
万蔵はなんだか怖くなり、真っ青になって家へとび帰りました。それから三日ほどして、苗代の種蒔きを終えました。「今年もやっと種まきが終わったで、今夜は風呂沸かし米の飯をたいて祝いをしねえか」と万蔵が言うと、きよも「そうだいね。さっそく家へ帰って用意するわい。お玉や、さあ帰らねえか」とお玉に声をかけました。
「まだ日が高いで、おらセリでも採っていくで、先に帰っておくれや」というので、万蔵ときよは、鍬(くわ)やモミ袋をかついで先に家に帰りました。お玉は、田の畔に長く伸びたセリを引き抜き、両手に持ち切れないほど採ったので、藁(わら)でクルクルと束ねました。
「あーあ、疲れた。一休みしていくか」と、腰のあたりをトントンとたたいて、柳の木の下へ行って腰を下ろしました。背中を幹にもたせていると、仕事の疲れがでたのか、うとうと眠ってしまいました。
そこへ、どこから現れたのか、大きな黒いヘビがスーと近づいてきて、お玉の体にぐるぐると巻きつきました。「ひぇー、だれか助けてーえ」と目を覚ましたお玉は叫びましたが、だんだん苦しくなってきました。
(重柳住民の氏神さま・重柳八幡神社。万蔵も何かにつけ、お参りしていたのではないでしょうか)
すっかり暗くなってもお玉が戻らないので、心配になった万蔵はあちこちと探しにでかけました。そして、田の畔の黒い影を作っている柳の木の下までやって来ました。提灯(ちょうちん)の明かりを黒い影に近づけてみると、お玉でした。「おい、お玉、お玉。どうしたんだ」と叫びましたが、お玉は息絶えていました。
万蔵は、ふと三日前の小さなヘビのことを思い出しました。
「ああ、なんてこっつら。おらがヘビの子を殺しちまったばっかりに、お玉が……。おら、へぇだめだ。どうしたらいいずら」と、お玉を抱いたまま、その場にへたりこむと、さめざめと泣きました。
そんなことがあってから、村の人たちは気味悪がって、この柳の木へは誰も近づかなくなりました。それから後、このあたりは柳がたくさん生い茂り、林のようになりました。なかでもひときわ大きい柳の木を、村の人たちは「お玉やなぎ」と呼んだそうです。
* 『 あづみ野 豊科の民話 』(安曇野児童文学会編)を参考にしました。
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