安曇野に架かる橋(14)~白鳥飛来地に近い光橋

安曇野を南北を縦断する形で犀川が流れていますが、明科と豊科間を結ぶ橋が2本あります。そのうちの北側に架かっているのが光橋です。

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その昔は、「光の渡し」と呼ばれた渡し舟が人と物資を運んでいました。その後、木橋が架けられましたが、洪水のたびに橋の一部が流されるなどしてきました。

旧光橋はなんどか継ぎ足しの修復をし、趣があったそうです。画家の征矢野
久さん(安曇野在住)は、当時の光橋を水彩画で描き述壊しています。

「今は立派なコンクリ橋だが、明治、大正、昭和と犀川を渡る一本の大切な木橋だった。構造も立派だった。だが…軽トラが
つっつき落ちた。『あぶない』と言って再建せず、この文化財は壊された」といいます。

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旧橋は幅員が1.4㍍、重量制限も1.2㌧まで、しかもなんどかの補修で傾斜ができてしまいました。

さらに昭和40(1963)年にも、またもや洪水で一部が流されたため流失した橋桁をコンクリート脚にする復旧工事が行われ、下の写真のように橋が波打ち、木橋とコンクリート部が混在し、軽車両しか通行できない世にも不思議な奇矯になってしまったということです。    

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復旧工事が終わる2年後まで、渡し舟が再び登場します。こうしたことから、平成3(1991)年に取り壊されました。

替わって平成13(2001)年、長さ440㍍、幅員14.5㍍の新橋になりました。橋桁も鉄筋コンクリートの堅固な橋梁に生まれ変わりました。

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橋は大きく孤を描き、後立山連峰から北アルプスの峰々や田園風景などが一望でき、眺めがよいことで人気のある橋となっています。

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シベリアから渡ってくる白鳥飛来地もすぐ近くで、冬期間も観察・見物に訪れる車が行き交う橋です。長野道・豊科ICもすぐ近くです。

* 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。

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