「鬼師」―字面からすると、なにかおどろおどろしい印象を感じるかもしれません。
でも、決して怪しい人でも怖いおじさんでもありません。
日本家屋の一番高いところを大棟と呼びますが、瓦葺き屋根の大棟などの両端にいろいろな飾り瓦が取り付けられていることがあります。この飾り瓦を鬼瓦とよびます。
こうした伝統的な鬼瓦制作の特別な技能をもった瓦職人さんを鬼師といいます。鬼板師とも呼ばれます。
瓦葺きの建築が減るとともに鬼師の数も、鬼瓦の生産も減少しています。おそらく時代の流れの中で特殊な技能を持った鬼師は、再び世に出てくることはないでしょう。
信州の各地には数々の無名の鬼師たちが残した鬼瓦や飾り瓦を見ることができます。木型に入れた量産品ではなく、一体ずつ精根を込めて制作した仕事です。
こうした鬼師が残した鍾馗以外の作品を「鬼師が遺した仕事」としてご紹介します。
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初秋へ向かおうというある日、得体の知れぬ風変わりな人物瓦があると聞いて、東御市へ足を伸ばしました。向かった先は、中山道の田中宿から少し離れた北側にある日蓮宗の法善寺というお寺さんです。
明治31(1898)年に建立されたという本堂隣りにある鬼子母神堂に、この風変わりな人物瓦が5体上がっていました。
まず、こちらは兜を被った武将が、足で虎を抑えつけています。となると、あの豊臣家に忠誠を尽くした加藤清正か、と思いました。
清正といえば、長大な烏帽子形の兜がトレードマークですが、これは違います。しかし、兜にある「蛇の目紋」は加藤家を代表する家紋ですので、これは間違いないでしょう。
清正は日蓮宗を信仰したということからも、このお堂に祀られているのも分かる気がします。
鉄扇を上に上げ、足でやはり成敗した動物(巨大なネズミでしょうか?)を抑えています。
瓦鍾馗研究家の小沢正樹さん(愛知県在住)から「鉄扇の男は『伽羅先代萩』に登場する荒獅子男之助という人かもしれません」というお返事をいただきました。
そこで、荒獅子男之助なる人物を検索して見ると、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)のストリーがこちらに詳しく載っていました。そして、歌舞伎での役者絵はこちらて゛見ることができました。
小沢さんのおっしゃる通り、荒獅子男之助をかたどったものであることに間違いないようです。なぜお寺のお堂に歌舞伎役者?は、分かりません。あまり深く詮索しなくてもいいのかもしれません。
落ち着いた表情で腕を組み、鯉の上に乗っています。この姿からピンときました。琴の名手でもあり、長寿を象徴する琴高仙人です。
弟子たちに龍の子を捕えて来ると言い残して水中に消え、約束した日に鯉の背に乗って水中から現われたという故事が残る仙人です。
琴高仙人は鯉の背に乗っていましたが、こちらは亀の甲羅に乗っています。通称・亀仙人(亀乗り仙人とも)といわれる黄安(こうあん)です。
3尺(90cm)ある亀の背に乗って姿を現すという仙人で、亀は3000年に一度しか首を出さず、この黄安は5回首を出した姿を見たといいますので、1万5千年生きた仙人になります。
そしてここまでは分かったのですが、どうしても得体の知れない人物がこちらです。
髪はボサボサ、足元に鶏がいますがそちらへ目をやるでもなく、視線の先は別の方に投げています。風貌からいっても仙人のように思えるのですが……。
検索していたら、こちらのお寺さんのHPにヒットしました。期待をもって見たのですが、結局は分かりませんでした。
HPによりますと、これらの装飾瓦を制作したのは、上田市の山田要吉さんという鬼師ということです。
それにしても、おもしろいものを見ました。恵比寿、大黒、鍾馗などの人物瓦はこれまでにも見てきたのですが、変わり種としてはこれまでに浦島太郎、孔子・孟子、天女くらいしか目にしていませんでした。
ましてや、勇猛果敢な武者や歌舞伎役者などは初見参で、足を運んだ甲斐がありました。
ここのお寺さんは、他にもいろいろ見るべきものがあります。子孫繁栄を願う耳の長いウサギがいましたし…、
打ち出の小槌がありましたし、
経文の巻き物もありました。
もう一つ、鍵のような小道具もあります。以前、小沢さんが滋賀県の米原市で鏝絵に描かれた同じものを目にされ、調べ上げています。
「鑰(やく)」という蔵の鍵で、宝物を象徴するものです。
宝といえば、思いのままに様々な願いを叶えてくれるという宝珠もありました。