中萱(なかがや)に、そのむかし、松本藩の過酷な年貢の取りたてにあえぐ村人を救おうと起ちあがり、処刑された多田加助を祀った社があります。「貞享義民社」(じょうきょうぎみんしゃ)の銘が鳥居にかかっていますが、この社の裏手に加助らの墓があります。加助の墓石は角が欠けています。
それは、暮らしに困っている人や病に悩んでいる人たちが、「加助さまにすがってなんとか良くしてもらおう」という願掛けした跡だというのです。
ある日のこと、万作は畑仕事から帰ると「おら、寒気がしていけねえで、寝るぞ」といい、布団を敷いて寝てしまいました。そのうちガタガタと震えだし「寒くていけね。もっと布団をかけてくれや」といいます。掛け布団三枚かけても、震えが止まりません。
「この暑いに、なんてことずら」と、おかみさんは心配して医者に相談に行くと「きつと夏の疲れがでたに違いない。この薬を飲ませるがいい」といって薬をだしました。しかし、万作がその薬を飲んでも少しも良くならず、夕方になるとガタガタ震えて熱をだし、うわごとまで言うようになりました。
おかみさんは再び医者をたずねると、「それはきっと『おこりの病』だ。だがおこりに効く薬はないでと、見放されてしまいました。困っていたところに
親戚のものから、「加助さまにお願いするだ」といわれました。
「おらの近くじゃ、どうしても困ったときや病のときは、加助さまにお願いして墓石を少しいた
だくだ。それをお守りにすりゃ願いがかなうし、病も治るといわれているでな」というのです。
さらにお墓の近くの砂をいただいて、それを田んぼに播けば害虫がでないというのです。「加助さまは、おらたちの味方でねえか」と、心をこめていうの
です。万作のおかみさんは、ワラをもすがる思いでさっそく出かけ、お墓の前で万作のおこりの病が治るようにお祈りしました。
(加助の墓石の一部が割られて、角がなくなっているのがいるのがわかります)
そして「加助さま、申し訳ねえが、墓石をちょっとお授けくださいまし」と近くにあった石で、お墓の角を割って紙に包み、家へと急ぎました。そして、
袋をぬってその中に墓石を入れ、万作の体につけました。すると、次の日から、あれだけ苦しんでいた万作の病は、みるみるうちに快方に向かったのです。
数日後、すっかり元に戻った万作とおかみさんは、加助のお墓にお礼参りにいきました。その後も二人は、何度もなんどもお墓に参ったということです。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。
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*安曇野に伝わる民話を 『 安曇野むかしばなし 』として長期にわたり連載してきましたが、今回でひと区切りつけたいと思います。
最初にも書きましたが、安曇野は民話の宝庫です。まだまだ収録できなかったものも沢山あります。あらためて編集し、ご紹介したいと思います。