重柳のキツネ~豊科・重柳

むかし、重柳に働きものの喜作という百姓が住んでいました。ある年の五月、朝早くから、ひとりで田植えをしていました。

「もし、もし、おらにも田植えを手伝わせてくんねかい」と、後ろから声がします。振り返ると若くて美しい娘が、田んぼの畔(あぜ)に立っています。

「いま、声をかけたのは、おまえさんかね。おまえさんのようなきれいな人が、こんな泥のなかにへええると(入ると)、真黒になって取り返しがつかなくなるじ」と、喜作がいうと、娘は「そんなこと、かまわねえわい。おらは、田んぼのしごとが好きだで」というなり、着物のすそを上げて、田んぼの中に入ってしまいました。

           127(田植えを、しのに手伝ってもらった喜作の田んぼは、やがて稲が青々と育ったことでしょう)

そして、苗をとても上手に、手早く植え込んでいきます。喜作は、今日中には、とても終わらないと思っていたのに、娘の手助けでみるみるうちに済んでしまったので、とても喜びました。「なんにもねえが、おらんちで夕飯でも食っておくれや」と、娘を家に連れて帰りました。

喜作が田植えの道具を片づけて、さて夕飯の用意をしようと家に入ったとたん、びっくりしてしまいました。今まで散らかっていた家の中はこぎれいになり、囲炉裏(いろり)には火が赤々と燃えています。そして、娘は井戸端で喜作のよごれた着物を洗っていました。

「なんと気がつく、手の早い働きものだろう」と、喜作はすっかり感心してしまいました。やがて夕飯になり、ふたりで粥(かゆ)をすすっていると、娘がいいました。「おらの名前は、しのというだ。道に迷ってここまで来ちまっただわい」。そして、はずかしそうに「親もきょうだいもいねえ、一人もんだで、おらのこと気に入ったら、この家においてくれねえかい」といいます。

「おらも見てのとおり、ひとりもんだで、おらほうこそ、おまえさんにいてもらったら、どんなに助かることか…。ぜひ、この家にいておくれや」と、喜作は喜んでこたえました。

          044                         (キツネは、こうしたヨシの茂る中に棲んでいるといわれます)

それから二人は、仲よく働き、何年かが過ぎました。やがて、じょうぶな男の子が生まれ、親子三人は前にも増して、幸せに暮らしていました。

ある日のこと、喜作が田んぼのしごとを終えて家へ帰ってくると、しのは赤ん坊にお乳をやっていました。喜作がなにげなく、その姿を見ていると、しのの着ものの裾(すそ)から変なものが出ていました。よく見ると、キツネのしっぽのように見えます。喜作の驚いた表情に気がついたしのは、喜作の顔を見ることもできず真っ青になりました。

           Photo_4(愛らしい表情を見せるキツネがどうして人をだますと言われるにようになったのでしょうか。=豊科郷土博物館所蔵の剥製標本)

「おまえさん、今日までだましていて、悪かったいね。おら、実はこの辺りに棲んでいたキツネだわい。一度でいいで、人間の暮らしがしてえと思い、おまえさ
んのところへ来たが…。おらの本当の姿を見られちまったで、ここで暮らすわけにもいかねえわね。どうか、この子をしっかり育てておくれや」と、しのは涙な
がらに言うと、煙のように姿が消えてしまいました。

           117(しのがいなくなってから、喜作は赤ん坊をこうしたつぐらに入れて、農作業をしていたのでしょうか=豊科郷土博物館蔵)

その夜、遅くまで、重柳の村中に悲しげなキツネの鳴き声が、いつまでも聞こえていました。それからというもの喜作は、この赤ん坊を、とても苦労して育て上げました。

この子は、大きくなるに従い、村のために堰(せぎ=農業用用水路)を掘るなどの仕事を、いくつもしたと言い伝えられています。

 

* 『安曇野の民話』(平林治康著)、『 あづみ野 豊科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。        

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