中山道の間宿(あいのしゅく)だった茂田井宿(佐久市)。間宿とは、江戸幕府が正式に認可されていなかった“旅籠”で、認可されていた宿場間にありました。
宿場間の距離が離れている場合、旅人は難儀しますがこうした便宜のため自然発生的に興ったといいます。茂田井宿は、芦田宿(佐久市)と望月宿(佐久市)の間にできた休憩所になります。
幕末に水戸天狗党が挙兵し、尊皇攘夷の志を朝廷に奏上するため中山道を上り上洛する時、この宿に400人余りが宿泊したそうです。また、14代将軍家茂に嫁ぐことになった和宮もここを通って江戸へ向かったという歴史があります。
ここに3体の瓦鍾馗があります。
いずれも鍾馗ガールことnaoさんが発見しました。二人で相談し、中山道の旧宿場町を探索してみようと計画を立て、いくつかの宿場を単独行するなかで見つけだしています。
3体とも小振りで、上がっている場所が目につきにくいところです。後日、尋ねてみましたが、なかなか探し当てられません。「3体ある」という事前情報がなければ、見落としていたかも知れません。
時間は掛かりましたが、ご対面することができました。
ところで、この鍾馗さんの後部に白く囲んだものが見えますが、これは「影盛」といいます。
箱棟が大きくなると軒を飾る鬼瓦も大きくしなければならず、屋根に重量が掛かってしまいます。このため木の骨組みを作り、漆喰を塗り込めて重量を軽減します。
こうして鬼瓦のボリュウム感と全体のバランスを取ります。漆喰を使い鏝(こて)による細工になりますので、左官職人さんが影盛を作ります。
この茂田井宿で見た他の飾り瓦も掲載しておきます。
鯉に乗っている人物と言えば、やはり琴高仙人でしょう。顔があまりにも若作りですが鯉の背に乗る人物は琴高仙人しかいませんので、これを制作した鬼師は若作りにすることで何か意味を持たせたのでしょうか。
一部が破損していますが、鶴の鬼瓦です。五三桐の紋様も見えます。
こんなかわいい竹林に遊ぶ雀の軒丸瓦もありました。