白牧の山奥から大口沢へ出る峠道は、木々がたいそう茂っていてうす暗く、夜通ると真っ暗なので、キツネに化かされるといわれていました。
むかし、この山里に平助が器量のいい女房と赤ん坊といっしょに住んでいました。平助は、ろくに働きもせず毎日酒ばかり飲んでいたので、暮らしは貧しいものでした。
女房が赤ん坊を寝かしつけてから、夜なべ仕事でわら草履(ぞうり)を作り、それを平助が売りに出かけ、売り上げて得たわずかな金も、酒に換えてしまうのでした。
(むかしは夜なべ仕事で、こうしてわら草履を作ったといいます=豊科郷土博物館蔵)
ある秋晴れの日、平助はいつものように昼間から酒を飲んでいましたが、腹を空かした赤ん坊が泣き止みません。
「やかましいぞ!これじゃ飲んだ気がしねえ。しとっきら(ちょっと)酒買いに行ってくるで、帰ってくるまでに乳くれて寝かせておけ」と言い残し、平助は女房の作った草履を手にして出て行きました。
平助は、山を越えて隣村に着くと、わら草履を売って、さっそく酒を買いました。家に戻る途中、我慢ができず歩きながら酒を少しずつ飲み、足元をふらつかせながら、山道を帰っていきました。
「すっかり暗くなっちまったな。それにしても今夜は、いい月だで、明るいずら。これならキツネなんか出っこねえ。まっ、帰ったら月見酒とするか」と、ご機嫌で峠道の曲がり角に差し掛かりました。
(白牧の山道は、今でも木が茂っていて昼なお暗いところがあります)
カサカサッと音がしたので振り向くと、木々の間から差し込む月の光に照らされて、寝ている赤ん坊を抱いて立っている若い女の姿が見えました。
「おい、こんなとこにおなごが一人で物騒じゃねえか。いってえ、どうしただい?」「この子とふたり、隣村へ行く途中、草履の鼻緒が切れてしまい足が痛くて…。すげ替えたいと思っても、この子を降ろすと泣き出してしまうので、困っています」と、女は抱いている赤ん坊を揺すりながらいいました。
「にかっこ(赤ん坊)が一緒じゃ、えらかったずら(大変だったろう)。どう、おらが抱っこしてやるで、その間に鼻緒を直せや」と平助は、手に持っていた徳利を足元に置いて、女から赤ん坊を受け取りました。
「おらとこにも、にかっこがおるで、抱っこするのは慣れてるで。……だで、こんな夜道をおなごだけじゃ危ねえし、にかっこがキツネにさらわれてもいけねえで、草履が直ったらおらが送って…」。
そこまで言いかけるや否や、急に風がヒューと吹き抜けました。背中のあたりが冷たく感じたので、平助は鼻緒を直している女のほうへ振り向くと、女の姿がどこにもありません。
(キツネが獲物に襲いかかるとき、このようなポーズをとります=大町山岳博物館蔵)
「おぉーい、どこにいるだ」といいながら、あちこち探しましたが見当たりません。「にかっこ置いていなくなるわけねえだが……、なあ」と抱いていた赤ん坊を見ると、手の中にあるのは木の切り株ではありませんか。
「ええーっ、なんだこりゃ?なんで、とっこ(木の切り株)になっているだあ?」。何が起こったのかわけが分からず、平助はボオーッとしていました。酔いもすっかり覚めてしまい「おら、酔っていたせいで夢でも見ていただかや…。早く帰って飲み直しだ」と、切り株を力いっぱい投げ捨てました。
そして、足元の徳利を持とうとすると、徳利がありません。「ない。おらの酒がない!」。木の陰に転がってしまったのかと、暗がりの中、草をよけて探しましたが、やはりありません。
平助はようやく気がつきました。「もしかして、ありやキツネか?おら、化かされただか?ちきしょう、あの女ギツネめ!」
(むかしは、こうした徳利に量り売りで酒を買いました。平助もこんな徳利に入れて山道を家路に向かっていたのでしょうか=豊科郷土博物館蔵)
次の日、村の人たちに昨夜起こったことを話すと「おお、この時分は、山に赤ん坊を連れたキツネが出るって聞くぞ」「おめえが、のうなし(怠け者)で、べっぴんな女房とめんこいにかっこを、でえじ(大事)にしねえで、子連れギツネに化かされるだじ」「女房の稼ぎで酒なんか飲むせいずら」と平助は、みんなに責められました。
平助は、このことがあってから酒を止めて、まじめに働くようになり、女房を大事にするようになりました。赤ん坊の面倒もよく見るようになりましたが、泣いている赤ん坊をあやすたびに、あの夜、キツネに抱かされた赤ん坊のことを思い出したといいます。
* 『 あづみ野 明科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。