お産の神さま~堀金・須砂渡

むかし、烏川(からすがわ)が大雨で増水し、上流にあった山の神社が流されてしまいました。下流の村人たちは、流されてきた神社の木材を引き上げ、須佐渡山神社(すさどやまのかみしゃ)として大切に祀りました。

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村に住んでいた太助は、お梅という若い娘を嫁にもらいました。お梅はまもなく赤ちゃんができましたが、残念なことに流産してしまいました。お梅はすっかり元気をなくしていました。

それから2年ほどしたある春の日、山仕事から戻った太助に「おまえさん、赤ちゃんができただ。お産婆さんにもみてもらったんでまちげえねぇよ」と、お梅がいいました。
「本当か! もう赤ん坊はダメかとあきらめていただが…。そりゃ、めでてえ。明日お祝に、岩魚(いわな)捕まえてくるだに。今度こそ丈夫な赤ん坊を産んでくりょ」

           059                                           (境内にある千度参りの記念石)     

そんなある日、大きな籠(かご)を背負って行商している男が、この村へやって来ました。男は、あちこちのおもしろい話をしてくれるので村人たちの人気者でした。

男は、お梅の家の縁側で、籠の中からいろいろのものを取り出して並べながら、お梅が赤ん坊を宿していることを知っていいました。

「おもしろい話聞いたことあるじ。どこの村の話だったか忘れたがせ。赤ん坊を授かったら神さまに底を抜いた柄杓(ひしゃく)をお供えするんだってさ。底のない柄杓で水を汲んでも軽いように、『お産も軽くなりますように』と願かけするということらしいじ。そしてお産が軽くすんだら、お礼に底の抜けていない新しい柄杓をお供えするんだと」。

お梅は行商の男が持っていた柄杓を全部買って、帰ってきた太助にこの話を聞かせました。

           060(境内を流れる清水を利用した手水場。いま備えられている柄杓は、金物製でもちろん底は抜かれていません)

次の朝、まだ暗いうちから家を出た二人は、山の神社へと向かいました。神社の手水場(ちょうずば)で柄杓をていねいに清めて、そばにあった石で底を抜きお供えしまた。

「どうか赤ん坊が富士に産まれますように」「お産が軽く済みますように」とお願いしました。

それからのお梅は人が変ったように、元気に畑へ出て働き、ご飯もたくさん食べてすっかり丈夫になりました。お腹もだんだん目立つようになり、秋も深まったころ、お梅は元気な男の子を産みました。遠くからお産婆さんやおっかさんが来るのが間に合わないくらいに、軽いお産でした。

大きな声で「オギャアー、オギャアー」と泣く赤ちゃんをしっかりと抱きしめながら、太助とお梅は「神さま、ありがとうござんした」とぽろぽろと涙を流しながら、お礼をいいました。

しばらくして太助とお梅は、生まれたばかりの赤ん坊を連れて、山の神社へ新しい柄杓を持ってお礼参りに出かけました。 

それから後、村人たちの間で底のない柄杓を神さまにお供えするとお産が軽くなるという噂が広がり、近郷からも柄杓を手にした若い夫婦がお参りする姿が見られたということです。   

                     

             * 『あづみ野 堀金の民話』 (あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

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