安曇野に架かる橋(10)~田畑を潤す堰をまたぐ平成橋

北アルプス山麓に広がる安曇野は、県内でも有数の穀倉地帯です。豊かな大地の恵みをもたらすのも、清涼な水があればこそといえます。

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しかし、昔から水に恵まれていたわけではありません。河川は多いものの勾配のある扇状地は、山間地を下る途中で伏流水となり地中に潜んでしまいます。

このため日照りの年はもちろん、慢性的な水不足に悩まされてきた歴史があります。耕作地はごく限られたところのみで未開の原野が広がっていました。

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これを解消するために、200年ほど前、昼夜分かたぬ農業用水路の開削工事に励んだ先人たちがいました。

庄屋の等々力孫右衛門と息子の孫一郎が、堰の開削を計画、図面をひき測量を行い十カ村の村人の労働力とともに全長15キロの水路の造成に成功したのです。農閑期のわずか3カ月間の突貫工事でした。
この開削の成功で農耕に欠かせない水が安曇野一帯に引かれるようになりました。安曇野に農地が広がり、大地からの恵みをもたらすようになったのです。

安曇野では、古くから農業用水路を「堰(せぎ)」と呼んでいます。その中心水路が拾ケ堰(じゅっかせぎ)です。拾ケ堰は安曇野の近代化遺産といっても過言ではないでしょう。現在、灌漑されている農地は1,000haに及びます。

下の写真は、まだプールのなかった昭和31(1956)年当時、拾ケ堰で水遊びする子どもたちの姿で、格好の遊び場でもありました。

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近年、拾ケ堰の改修も終え、平成元年(1990)年に「平成橋」が架けられたほか、堰を横切る何本かの橋も架かっています。

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拾ヶ堰は農林水産省の「疎水百選」にも選定され、堰に沿ってサイクリングロードや散策路、広場も整備され憩いの場となっています。

休憩地となる自転車広場の近くは、桜や柳の木が植えられ、お花見のころは遠くに雪を被った常念岳を借景に、絶好の撮影ポイントとしてにぎわいます。

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ビューポイントといえば、すぐ近くに“野中の一軒家”があり、四季折々、アングルを考えシャッターを構える写真愛好家の姿も見られます。

*  白黒写真は、「松本・塩尻の昭和史」(郷土出版社)から撮りました。

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