安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。
* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。
安曇野女学校の放課後、陽子たち3人は人目を盗んではたびたび飴屋「村上堂」に立ち寄りました。箸でたぐる水飴のおいしい食べ方を教わったりしながら…
学校内であったその日の出来事から、家庭・家族のこと、初恋のときめき、卒業してからの進路、自らの人生など笑いこけながら、時に涙を流しながら話し合いましたね。
しかし、いろいろ調べてもこの当時、残念ながら安曇野には、飴玉、金平糖、せんべい、キャラメルなどの駄菓子を売る店はあっても、村上堂のように製造・販売する飴屋はなかったようです。
隣の松本市には、当時も今も3軒の飴専門店があります。この3店とも江戸期から続く老舗で、伝統的な飴づくりのそれぞれの秘法を受け継いでいます。
中でも最も古い歴史を持つのは、山屋御飴所で寛文12(1672)年の創業といいますから三百年を超える伝統があります。
店の看板も明治18(1885)年のものといいます。ドラマで陽子たちが村上堂に立ち寄ったのは太平洋戦争に突入する少し前のことですが、山屋御飴所さんは戦中、兵士の携行食としての飴を作り、陸軍に納入していました。
この飴は軍人が堂々行進する姿にちなんで「堂々飴」と名付けられ、今でも定番商品として製造販売され人気銘柄になっているそうです。
山屋御飴所の屋根に陶製のカエルの像が一対飾られています。堂々飴を口にした兵隊さんが戦地から「無事帰る」ことを願って据えられたということです。
飴は甘いものですが、いずれの店の飴にも砂糖などは使用していません。
原材料は、米と麦芽と水だけです。そこで使用される米の多くは、安曇野産米です。水飴も安曇野のもち米を使っています。米が原材料の水飴ですので、米飴とも呼びます。
大麦の種子が芽を出したものが麦芽ですが、これに含まれているアミラーゼという酵素が、もち米に含まれるデンプンから甘い味を引きだしているとのことです。
米の甘みは強くはありませんが、ゆっくり体内で分解・吸収されるので腹もちが良いし身体にもやさしいのだといいます。
一さじ分の米飴には、職人さんが伝統的な手法でグツグツ煮込んだ安曇野産米が約740粒分詰まっているのだそうです。
女学校の卒業記念に村上堂で飴を舐め、ラムネで乾杯しました。陽子たち女学生たちにとって、飴と村上堂は青春の思い出の詰まった場所だったのかもしれません。
しかし、その村上堂も太平洋戦争に突入した昭和16年、原材料不足、物資欠乏に伴い休業に追い込まれましたね。
このまま廃業にいたるのかなと思っていたら、戦後になって復興を遂げる脚本が用意されているようですよ。