小雨がしとしとと降っている真っ暗な夜でした。長助は、親戚に急な用ができ夜道を歩いていました。足早に歩き、道が太田屋林へかかると、あたりはいっそう暗くなり、提灯(ちょうちん)の灯りもやっと足元が見えるだけでした。
背中にびっしょり汗をかき、やっとのことで気味悪い林を通り抜け、フーと大きい息をしました。「明日まで待ってくりゃよかったかな」と思いながらも、気を取り直して歩きだしました。
しばらく行くと「ザック、ザック」と小豆をとぐような音がどこからともなく聞こえてきます。「はて、なんの音だ。小豆でも洗っているだかや。キッネに化かされているいるのかな」と思いながら、辺りを見回しました。
(キツネの置物などは、確かに人をだますような表情をして描かれているのではないでしょうか)
すると、どうやら音のするのは、堰(せぎ=農業用水)にかかっている土橋の下の方からでした。長助は、キッネに化かされた時は、タバコを吸えば、キツネは煙たがって逃げていくという言い伝えを思い出しました。
「どれ、タバコでも吸って一息いれるとするか」と、わざと大きな声をだしてキセルにタバコを詰め、スッパ、スッパと吸い、フーと煙をはきだしました。長助はなんどか、煙をはきだしましたが、「ザック、ザック」というその音は消えません。
提灯の灯りを土橋に近づけて、見てみました。木が腐りかけ、その上に盛った土があちこちに落ち込んでいて、穴のあいた橋の下から「ザック、ザック、バラバラ、ザック、ザック」とあの小豆を洗うような音がしているのがわかりました。
雨降りの暗い夜に聞こえるこの音は、どこか陰気な響きがして耳の奥に響いてくるのでした。「よおし、こんなもの、ひと息に走り抜けてやるわい。そうすりゃ、なんともねえずらに」と、大きな独り言をいったかと思うと、長助は走りだしました。
橋の上は、つま先を立ててトントンと渡っていきました。その時、提灯の灯で、橋の横からちょっと見えたものがありました。
(堰に架かる土橋とは、こんなイメージでしょうか。この下側から小豆をとぐような音がしたというわけです)
ぼさぼさに伸び、ダラリと垂れ下がった白い髪、ほほがこけ落ち、青白い顔で目がギョロギョロ光っていました。鬼のような顔でした。「このがきめ。よくもわしを踏みつけたな。ただではすまんぞ。こうしてくれるわ」と、しゃがれた声がしたと思うと、ピシュー、ピシューと小石が飛んできました。
長助の背中や足にいくつかの石が当たりました。「あぶねえー」と長助は、そこを逃げ出し、どんどん走って親戚の家まで駆け込みました。たどり着いたととたん、土間にどたりと倒れこみ息をハアハアとはずませて言いました。
(長助をにらみ、小石を投げつけてきた“あずきばばさ”は、こんな怖い形相だったでしょうか=豊科・飯田の鬼瓦)
「えらい目に遭ったいね。土橋のところにおっかねえばばさがいて、石を投げつけてくるじゃねえかい。やっとのことで逃げてきたわい。背中と足が痛くていけねえでみておくれや」というと、おじが「そりゃ、えらかったな、長助はねらわれただわ。雨降りのこんな晩は、あずきばばさが出るちゅーからな」
長助はこの話を周りに話したので、あっという間にあずきばばさの噂が村中に広がりました。子どもたちは日が暮れてから古い橋を渡るときは、「ザックザック」と音がしないかと怖がったりしました。
こんな村人のおびえて暮らす話が役人の耳に入りました。役人は、噂のあった古い橋の下を一つ一つのぞいて歩き、変なものがいないか、石が残っていないか、くわしく調べて歩きました。でも、どこにもあずきばばさはいませんでした。
そんなことがあってから、村の人たちは「あずきばばさ」の正体は、カッパだったとか、いやキツネかタヌキが化かしたのだとか、山姥(やまんば)だ、行者(ぎょうじゃ)さまだったとか、いろいろ噂しあいました。
(果たして“あずきばばさ”の正体は?=大町山岳博物館のホンドタヌキの標本剥製)
しかし、なんのためにいたずらをしたのかは分かりませんでした。ただ「ザックサザック」という音を聞いたという村人は何人もいたということです。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。