安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。
* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。
ドラマのなかで陽子が通う学校がでてきました。一つは少女のころに通学した「有明山尋常小学校」で、開戦してから「有明山国民学校」になり子どもを国の戦力として鍛える場に変わりました。
今朝の番組では、陽子は教師として自転車に乗って母校に赴任しまたね。
もう一つは後になって通った「安曇野高等女学校」です。
「あの校舎は今も残っているの?」「安曇野女学校は、今のどこの学校になるのですか」という問い合わせがありました。
ドラマはフィクションですので創作上の学び舎で、有明山尋常小学校も安曇野高等女学校という名前の学校はありませんでした。
そして、安曇野にはドラマに出てくるような学校の建物も現存しません。
安曇野市内には、昨年末まで上のような木造校舎の旧小学校・分教場がありましたが、取り壊されてしまいました。
この分教場は昭和7(1932)年に木造二階建ての建物として改築されていますので、物語で陽子が安曇野へ引っ越してきた年とちょうど重なります。「昭和」を偲ばせる建物がなくなり残念なことです。
松本市内には、開智学校という明治初期に建立された建物が保存されています。
ドラマでは、尋常小学校時代の旧友ユキと学び舎で再会する場面があり、机を並べた幼い日を思い出すシーンがありました。
開智学校には、往時の教室も再現されていて他の教育資料とともに公開されています。教育資料の展示では、全国一ということです。
番組に登場する有明山尋常小学校は、茨城県大子町の旧上岡小学校の跡を使ってロケが行われました。
安曇野高等女学校の特撮も、茨城県の旧土浦中学本館(現土浦一校)を使って撮られています。この建造物は明治37(1904)年に竣工され、昭和51(1976)年に国の重要文化財に指定されています。
安曇野で当時、高等女学校といえば、大正12(1923)年に開校した豊科高等女学校(現豊科高校)しかありませんので、陽子はここに通っていたと見るのが妥当かもしれません。
戦後も女子高としての歴史を刻んでいましたが、昭和49(1974)年男女共学に変わっています。
ドラマの中で女学校といえども、当時は軍事教練に励む場面もでてきていましたね。女子が受けた教練としては、薙刀(なぎなた)、弓道、竹槍、担架などあったようです。
なお、次兄の茂樹が学んだ農業学校は南安北部農学校(現穂高商業高校)か南安曇農業校(現南安曇農業高校)になるのでしょう。
いずれにしても物語は脚本家の岡田恵和さんのオリジナルストーリーですので、モデル校としてそこまで想定しているかどうかは分かりません。
* ドラマ番組で、美術スタッフが描いた学校等の位置図をイメージした「安曇野地図」があります。ご覧ください。