むかし、岩原に大日堂があり、庭の桜の木の根元に、石仏の如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)が祀られていました。でも、観音さまは村人にとって、あまり評判はよくありませんでした。というのも、お供えやお参りをしても、なかなか願いがかなわなかったからです。
ある日、村はずれに住んでいる平太のかみさんが、歯が痛いと苦しみだしました。我慢していましたが、かみさんの顔は腫れてきて、熱も出てきました。平太は観音さまの評判が良くないことは知っていましたが近くにあることから、なんとかお願いして治してもらおうと思いました。
しかし、平太の家は、田畑も少なく、その日の食べ物にも困っていたのでお供えするものもありません。
そこで、平太は中に泥を入れた土饅頭(つちまんじゅう)を作りました。観音さまをだますつもりはありませんでしたので、心をこめて本物そっくりに作ってお供えし三日三晩、お参りに通い続けました。
「観音さま、おらの女房が歯がいてえって苦しんでるだいね。だで、おねげえします。どうか治しとくれや」
(草深い跡地に如意輪観音像だけが、ポツンと安置されています)
平太の供え物に気づいた観音さまは、「久しぶりにまんじゅうにありつけるなあ。これはうまそうだ」と、手に取ると大きな口を開けてパクッと一口食べました。「ガキッ」。 鈍い音がして、観音さまの右の奥歯が欠けてしまいました。
「いたぁーっ、なんだ、このまんじゅうは!」 怒った観音さまは、土饅頭を投げつけようとしましたが「それにしても、このまんじゅうは、良くできてるわ。ほんものそっくりだわ」と怒りも忘れて、なんだか感心してしまいました。そして平太の家が貧しいことも知っていましたので、怒る気持ちはそれ以上出てきませんでした。
観音さまは、これまで自分の好きな供え物をした人には願い事をかなえてやっていたことを反省し、熱心にお参りしていた平太の願いをかなえてやることにしました。
(旧観音堂の近くには往時をしのばせる土壁造りの民家も残っています)
それから二日後、平太のかみさんの歯の痛みはすっかり無くなり顔の腫れもひきました。平太とかみさんは、観音さまにお礼参りにいきました。「おらたちの願いを聞いてくださり、ほんまに、ありがとうござんした。だますつもりじゃなかっただが、悪りいことをしただいねえ。どうか許しておくれや」といって謝りました。
その後、観音さまはどんな供え物でも心がこもっていれば、村の人の願いをかなえてやることにしました。
しかし、観音さまの欠けた右の奥歯の痛みがなかなかとれません。痛いところに手が行ってしまいます。観音さまが右手を頬にあてるようになったのは、それからだということです。
村人たちは、観音さまのその姿を見て「あめえもん(甘いもの)を食べ過ぎて、虫歯になったんじゃねえか」と噂するようになり、いつしか、この観音さまのことを『虫歯の神さま』と呼ぶようになりました。
そして、村では、もし虫歯になって痛くてたまらないときは、痛い歯の頬を手で押さえ、熱くなった手で、この観音さまに何回も繰り返し触り、三日三晩お参りするときっと治ると言い伝えられてきました。
* 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。