民家の蔵の上の鬼瓦の水文字の上に、鳩がとまっていました。
以前ご紹介した鳩の飾り瓦(「安曇野の屋根瓦-12」)でなく、生きている本物の鳩です。左の隅にもう一羽、顔を出しています。通るたびに鬼瓦の近くに鳩がいるので、巣があるのかもしれません。
ところで、文字瓦は「水」だけとは限りません。
「鬼瓦(その2)」でご紹介した矢ノ沢消防分団の隣りで、珍しい文字瓦に出会いました。
矢ノ沢地区は明科の山間部になります。そこの子弟たちが通った旧矢沢分教場の建て物が残っています。
明治40(1907)年に上川手小学校の分教場が建てられ、大正6(1917)年にここに新築移転し、昭和30(1955)年まで使用されていました。
ですから、この建て物は大正期の建築物になります。そこの鬼瓦に…
「學」の文字が入っています。「學」は学の正字になりますが、今はほとんど使用されません。それだけに年代を感じさせます。
豊科・真々部の小さな社の裏手に、今は使用されず取り外された「奉」の文字瓦がありました。新しく葺き替えた時に外されたものと思われますが、初めに社を造営した時に奉納の意味を込めて「奉」の文字を刻んだのでしょうか。
文字ではありませんが、やはり明科の中心地区に、郵便局のマークが刻まれた鬼瓦を見つけました。
今は閉じた郵便局で、下がその全景です。民家を改造していますので、簡易郵便局だったのでしょう。「昭和」の匂いの残る建て物ですね。
同じ〒マークの瓦は、現役で営業している明科・木戸簡易郵便局でも見ることができます。
余談ですが、郵便局が地図記号でなぜ〒マークで表されるかご存知ですか? 〒は片仮名のテに似ていますよね。郵便事業はその昔、逓信省(ていしんしょう=郵政省の前身)と呼ばれた省庁が管轄していたことから、その頭文字を取って図案化したそうです。
豊科・本村の大日如来堂にある卍マーク。卍印は地図上で表す寺院のマークですが、この場合は、紋章に当たる寺章(左万字紋)の意味合いが大きいのかもしれません。