漆喰細工を尋ねる旅-2   沓亀が描いた三味線店の猫の看板(東京・四谷) 

東京・四谷3丁目の甲州街道沿いに「ねこや楽器店」があります。楽器店の名がありますが、三味線の専門店です。

大正13(1924)年の『最近東京市商工名鑑』に「四谷区伝馬町三丁目二十三番地 三味線販売 ねこや 熊沢富十郎」の記載がありますので、この年の創業になるようです。現当主は3代目になるといいます。

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元和2(1616)年、江戸幕府は甲州街道を通って江戸市中に出入りする通行人や荷物を検める関所を四谷に設けます。今の四谷4丁目交差点辺りになります。

四谷大木戸といい、石畳を敷き木戸は石垣にして夜は木戸を閉めていたといいます。ですから甲州街道は「四谷大木戸までが江戸のうち」だったようです。ねこやさんは、江戸のうちで商売を始めたことになります。

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享保期には人口がすでに100万人を超えた「江戸のうち」は繁栄し、巨大都市へと発展を遂げていきます。人が増えると、歓楽街つまり花街も形成されていきました

この一帯に明治期から花柳界があり、ねこやさんのすぐ近くに荒木町があり少し離れたところに神楽坂などもあります。

最盛期は200人もの芸者さんがいたそうで、その芸者さんにとって三味線は必需品でした。

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ねこや」の命名は初代で、この猫の鏝絵も「看板替わりに作らせたものではないでしょうか」(現当主)といいます。当時は三味線作りに猫は切っても切れない関係ですから、屋号も看板もネコにしたようです。

やや物憂げな表情のブチ猫ですが、そこに実際にうずくまっているような立体感です。

制作したのは、「伊豆の長八」こと入江長八の高弟で、四谷見附の左官・吉田亀五郎です。額装の右下に落款が押捺されています。

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吉田亀五郎は、弘化元(1844)年に四谷見附で生まれています。父親は代々続いた地付きの左官で沓屋の辰五郎といい、五郎は通称「四谷の沓亀(くつかめ)」と呼ばれました。

11歳で母を失った沓亀は奉公に出て左官の技能習得をするかたわら、狩野派の絵師から絵を習得し深川を本拠に活躍していた長八に塑像を学んだといいます。

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左官と漆喰鏝絵の技術を体得した亀五郎は、父の死後二代目辰五郎を継いで独立。四谷で家業を伸ばす一方、鏝絵で料亭や商家、あるいは演芸場などの看板も制作しました。

このねこや楽器店の看板もその中の一枚になります。

 

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