鬼師が遺した飾り瓦 ~ 瓦で作った福をもたらす七福神(岐阜県高山市、長野市、松本市、安曇野市)

屋根に上がっている福をもたらすとされる「七福神」の飾り瓦で、圧倒的に多いのは大黒天と恵比寿の2柱です。これは西日本、東日本に関わらず共通しているようです。

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ですから、他の神たちが上がっていたりすると、鍾馗とは違った感動があります。上は岐阜県高山市で見た布袋です。

着衣から腹をはだけ福々しい体格を見せ、頭を丸め僧形をしています。

下は、長野市豊野の今は引退して隠居されている元瓦職人さんの居間に鎮座していた布袋和尚です。

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七福神の一柱にして、唯一実在の人物といわれる布袋さんですが、こちらは付きものの軍配こそ手にしていませんが、禅僧を表すように半跏趺坐(はんかふざ)しようとしているのでしょうか? しかし、お腹が邪魔してうまく組めないため失笑しているようです。

瓦製造が盛んだった須坂市で修業していたころ、「三州から来ていた鬼師に作ってもらった」と言い、以来、家宝として大事に床の間に飾ってある置き物です。

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松本市里山辺の老舗旅館の小屋根に上がっていた弁財天です。「弁才天」、「弁天」とも表記される七福神のうちの唯一の女神ですが、腕が2本の二臂の場合と、8本の八臂の姿があります。

天女のような面持ちで頭に宝冠を載せ、この宝冠に白蛇がいます。上のように二臂の場合は琵琶を抱える姿で、八臂の姿で表されるときは宝珠や宝剣など8本の腕にさまざまなものを持って表現されます。

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甲冑をまとっていることからも分かるように、戦闘の神・毘沙門天(びしゃもんてん)です。型抜きされたもので、安曇野市堀金の屋敷塀の隅に上がっています。

もともとインドのヴァイシュラヴァナという神で、漢字で音を当て毘沙門天となったそうです。

片手に宝塔(仏舎利を収める)を持ち、もう片方に棒か戟(げき)を持った姿で出てきます。邪鬼を踏む場合もあり、鍾馗と間違える場合も多いようです。

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戦国の武将・上杉謙信が尊崇し軍旗に毘の字を用いるなどでつとに有名ですが、仏教の世界で四天王のうち北方を守る神とされ、多聞天とも呼ばれます。

大黒天、恵比寿を合わせると七福神は5柱となり、残りは福禄寿、寿老人になりますが、これまでにお目にかかったことがありません。

福禄寿と寿老人は、どちらが寿老人でどちらが福禄寿が区別がつかないほど混合が激しくなっています。杖、巻物、団扇(うちわ)を手にし、鶴や鹿などの動物を伴い頭が長いなど、共通点ばかりです。

この厄介な2柱を鬼師はどう制作するのかなと思っていましたら、瓦鍾馗研究家の小沢正樹さんが三重県伊賀市の古宿で七福神のオンパレードを発見しています。こちらをご覧ください。

 

 

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