松本市街地の鍾馗をはじめとした飾り瓦を発見する手がかりを与えてくれた、松本市里山辺にある老舗旅館「金宇館(かなうかん)」を訪れました。美ヶ原温泉の一角になります。
大正期の終わりに開業した同旅館は、現在3代目が跡を継ぎ、趣きのある創業期からの内外装を大事に残し、手を入れ落ち着きのある風情を“売り”にして顧客を迎えています。
旅館を営む前は、かつてこの地域から産出された粘土で瓦製造業を営んでいた経緯があり、瓦葺きされた屋根の随所に飾り瓦が置かれています。
正面玄関上の小屋根に、鷲が載っています。岩の上で鋭い手羽で身を支え、来客を迎えているような表情です。
型抜きされた鳩を模った装飾瓦はよく見かけますが、猛禽類を形にした飾り瓦は初めて見ました。
別の小屋根に、実に精微に制作された大黒天と弁財天が飾られています。顔のにこやかな表情、身に着けているそれぞれの衣装、手にしたり傍にある小道具類の描写の仕方などすばらしい出来栄えです。
弁財天は七福神の中の唯一の女神になりますが、装飾瓦に登場するのは稀といってよいかと思います。女性ですので鬼師も造りにくいということだったのでしょうか。
大黒や恵比寿はよく目にするのですが、弁財天はじめ布袋、毘沙門天など他の福神は制作が限られているようです。
2代目の先代が、所蔵している飾り瓦を披歴してくれました。恵比寿と大黒天の壁飾りと置物です。
壁飾りの裏に銘があります。
三河国 碧海郡高濱町 杉浦重六 大正九年六月
と読めます。
すなわち、松本・里山辺にも三州からの出稼ぎの鬼師が来ていたことになります。
しかし、2代目の話によると「出稼ぎ職人が(ウチに)来ていた記憶がありません。惣社(そうざ)の瓦屋に来ていたのではないでしょうか」といいます。
もう一体、金宇館の内風呂の屋根に、鬼門の方角(北東)に向けて鍾馗が飾られています。露天風呂から望むことができるのですが、逆光と立ち上る湯気でなかなか撮影が難しい鍾馗さんです。
これまで里山辺一体で見てきた型破り鬼師が造った鍾馗さんです。
造作からいって鬼師・杉浦重六の作とは明らかに違います。多くの飾り瓦をこの地域に残した鬼師は誰なのでしょうか。