信州の鏝絵に見る左官職人の技-9   鏝絵の古看板

長野市松代に「大勉強」と大書きされた鏝絵の看板がありました。

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初めは「大勉強」とは何か、よく分からなかったのですが鏝で書いた文字の下の絵で合点しました。

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背の低い作業台の前であぐらをかいて、畳針を肘でぐいっと畳に突き刺しては畳を縫い上げて行く様子が描かれていますので、この宅の稼業は畳屋さんだったのでしょう。

畳の立体画法に少し難がありますが、それはご愛嬌として…。

左側に畳屋のタの字を取った屋号も書かれています。右にはボタンかシャクヤクの花が描かれていて、粋なところを見せています。

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大勉強とは、安い労賃で畳仕上げをしますよということなのでしょう。一見して分からなかったものの、分かるとこの鏝絵大看板なかなかよくできたものに思えてきました。

下は、須坂市で保存されている牛乳屋さんに掲げられていた鏝絵看板です。

「劇場通り」の名の付いたストリートがあります。それぞれの通りの名前には由来があるのですが、「劇場通り」は須坂が製糸業で活況を呈していた頃、この通りに映画館が4館もあったことからこの名前が付いたそうです。

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この通りに坂本屋の屋号の牛乳屋さんがあったそうです。そこに上がっていた鏝絵看板で「牛乃乳」と書かれています。

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明治後半に制作されたもので、当時は牛乳を「牛の乳」と呼んでいたことから看板もそのように表記されています。

坂本屋さんは手広く営業し、町内はもとより近隣の小布施、中野の街まで配達していたそうです。

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この「牛の乳」は須坂市南原町の左官職人、関野彦三郎(安政6~大正5年)の作になります。関野彦三郎は、18歳で江戸に出て入江長八の門に入り修業を積みます。その後、帰郷し腕を振るいますが、この「牛乃乳」もその中の一点になります。

現在、「牛乃乳」の鏝絵看板は、坂本屋が廃業するに伴い取り壊すことになったのを契機に、同市に寄贈され、旧上高井郡役所内に保存展示されています。

 

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須坂市にあった鯛の鏝絵です。元魚屋さん(現在仕出し屋さん)の外壁の白漆喰に生きの良さが伝わってきそうな姿で描かれています。

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いつもこの絵の前に営業車が停まっているのですが、カメラを構えていたらここのご主人、移動してくれました。

古くから諏訪大社の門前町として、江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた諏訪市。

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通りに造り酒屋も数軒あり、昔ながらの蔵造りを保存し営業しているところもあります。

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横壁に清酒の銘柄を、鏝絵で大きく描いた看板がありました。

 

 

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