おそめキツネ~豊科・吉野

むかし、林や野原が多かったころの吉野に、人を化かすのが上手なキツネが棲んでいました。そのキツネは、人を化かすときはいつも、女の人に化けて「おらの名は、おそめだ」と言うので、吉野の村人はそのキツネのことを『おそめキツネ』と、呼んでいました。

     092(少し、小賢しい顔立ちのキツネ。おそめギツネもこんな感じでしょうか?=豊科郷土博物館蔵)

ある年の初め、与作が畑で種まきしていると、見かけたことのない女の人が通りかかり「こんにちは、せいがでるねえ。おらは『おそめ』というもんだが、与作さかい」と、たずねました。与作は「ははあ、こいつが噂のおそめキツネか、おらは、やたらに化かされねえぞ」と、心の中で思っていました。

「これから太助さの、建てめえ祝いの餅投げがあるで、いっしょに行かねえかい?」と、誘ってきます。「はあて、太助さはいつ新しい家を建てたずら…」と思いましたが、おそめがこちらを向いて、ニヤッと笑うのでなんとなくその言葉を信じてしまいました。

与作は、「ほう、そうか、そりゃおめでてえこんだ。おらも投げ餅を拾いに行かずよ」と言って、おそめについて行きました。

           247    (太助は、このようなお盆に山積みの祝い餅をまいたのでしょうか=堀金歴史資料館蔵)

二人が太助の家へ着くと、大勢の村人たちが餅投げを待っていました。やがて、新しい家の屋根の上に太助が上がり、棟梁(とうりょう)が神棚に向かって祝詞
(のりと)を読み、そのあと「せんねんとうー(千年棟)」と叫び、床を金槌(かなつち)でたたいて「カチン」、「まんねんとうー(万年棟)」、「カチ
ン」、「えいえいとうー(永々棟)」、「カチン」と三度繰り返し、儀式を終えました。

太助は、小さな餅を山のように載せたお盆を、神棚から降ろしてくると、餅をつかんで「それーっ!たんと拾え」といって、下にいる人たちに投げました。人びとは、ワアワア言いながら、争って餅を拾いました。

与作も夢中で餅を拾ってから、おそめに「めでてえ餅を拾うことができて、ありがたかった」と礼を言おうとしましたが、どこにも見当たりません。

しかたないので与作は家へ帰り、拾ってきた餅を懐(ふところ)から出してみると、松ぼっくりがでてきました。「おそめキツネめ、まんまと化かしおって…」と、地団太踏んで悔しがったということです。

           053                            (与作が拾った餅は、松ぼっくりだった!?)

また、近所の栄じいが、大晦日の日に大きな風呂敷を持って年とり魚や正月の品を買いに出かけました。しかし、夜になっても戻ってきません。

たまばあが迎えに行くと、畑のうえに風呂敷を敷いて、その上に座って葉っぱを三枚重ねて置いて「めでた めでたの若松さまよ 枝も栄える 葉も…」と、婚礼の時の祝い歌をうたっているではありませんか。

           151(めでたい時に舞われる高砂を表した人形。栄じいとたまばあは、こんな場面を想定していたのかも知れません)

「じいは、おそめキツネに化かされたわい」と、たまばあは、すぐに察しました。そして、栄じいの手を引っ張って立ちあがらせ、魚や正月の品を風呂敷に包み、背中にくくりつけました。

     213              (吉野の開拓も進み、今は一面、田畑が広がります)

「じい、むだこと言わんで、家へいきましょや」と言って、家に向かいました。途中、たまばあは「それにしても、おそめキツネめ、人を化かすにも祝い事で喜ばすで、おらも一つ化かされたふりして、じいと下がり嫁の歌でもうたって行かずよ」と思って、歌いだしました。

「竹にスズメよ 松にはツルよ 梅にウグイスわたしゃぬし、松の葉のよな縁ならよかろ、枯れて落ちても二人づれ…」。たまばあに誘われて、栄じいも歌いだしました。

二人の歌声を、おそめキツネは木陰で聞いて、ニヤリと笑っていました。

 

   * 『 あづみ野 豊科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

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