熊井 啓監督を顕彰する記念館が、安曇野に誕生しました

安曇野が生んだ日本映画界の巨匠・熊井 啓監督の業績を顕彰する記念館が、生まれ故郷の豊科にできました。熊井監督は、平成19(2007)年に76歳で亡くなりましたが、1960年代から2000年代にかけて活躍し生涯19本の名作を遺しました。

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1964年に「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューし、「日本列島」(1965年)、「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(1981年)、「日本の黒い夏 冤罪」(2001年)など戦後の日本で起こった謎の多い諸事件を綿密な調査と考証を重ねて映画化し、骨太の社会派監督として注目を浴びました。

1974年には、東南アジアに娼婦として売られた「からゆきさん」を取り上げた「サンダカン八番娼館 望郷」は、重いテーマを扱いながら重厚な人間ドラマに仕上げた功績でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、国内外から高い評価を得ました。

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また、三浦哲郎原作の芥川賞受賞作「忍ぶ川」(1972年)、井上靖の「天平の甍」(1980年)、「千利休 本覚坊遺文」(1989年)、遠藤周作の「海と毒薬」(1986年)、「深い河」(1995年)、「愛する」(1997年)は、高い評価を得ている日本の文芸作品を映像化することにより、人間の生と死を見つめ生きる意味を問いかけ、心に染み入る作品として世に出しました。

これらも国際的な映画祭にコンペティション参加し注目を浴びるとともに、数回にわたりキネマ旬報ベストワン作品に選ばれるなど手がけた作品の多くが高く評価されています。

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記念館は、作品に関連する諸資料の寄贈を受け、安曇野市名誉市民でもある熊井啓監督の業績を顕彰するため開設されたものです。

記念館には、諸作品のシナリオ、コンテ、ポスター、スチール写真などが展示されています。

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また、国内外の映画祭や映画賞で受賞したブロンズ像やトロフィーなどの記念品も見られるほか、撮影現場でメガホンを片手に指揮していたときに使った愛用の椅子なども飾られています。

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記念館の一角には、エッセイストでポプリ研究家の熊井明子夫人が収集したポプリ容器、香炉、乳鉢などの展示コーナーもあります。

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熊井 啓記念館は、安曇野市豊科5609-3の豊科交流学習センター「きぼう」の2階部にあります。午前9時~午後9時30分まで開館/月曜休館/入場無料/問い合わせは、☎0263・73・1802

* 記念館では寄贈品が数多いため、今後、展示内容を変えながら公開するということです。

* 熊井 啓監督の生涯と作品について綿密にたどった「熊井 啓への旅」が出版されています。以前、このブログでも取り上げています。こちらもご覧下さい。

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