中村の龍神さま~明科・中村

むかし、犀川(さいがわ)で川舟を家業とする親子がいました。川舟とは、とれた穀物や野菜、あるいはお茶や陶器など日用品を舟に乗せて運ぶ舟運(しゅううん)という仕事で、父親は孫次、息子の名は佐平といいました。

この日も川舟で、松本から信州新町へ物を運ぶ途中でした。舟が中村の沢尻近くに来たころ、月が登り始めました。すると、川の中のいろいろな形をした、大きな白い岩に月の光が当たり、辺りはいっそう明るく見えました。

しかも川の水が白い岩に勢いよく当たっても、水しぶきが飛び散りません。「えれえ静かだな。昼間のあの騒々しい水音はどうしただ」と、今日初めて舵(かじ)を取った佐平がいいました。孫次は「大きい声をたてるでねえ、龍神さまが休む時は、みんな音をたてねえだ」と注意しました。

           2(むかし、中村地区を流れる犀川にたくさんの奇岩が見られたそうですが、今はそのほとんどが姿を消してしまいました)

「親父、いい形の岩がたくさんあるなあ」と、佐平は周辺の奇岩やその連なりに見とれていました。「佐平、ここは難所中の難所だ。そっちさ、近づくでねえ。右に舵を取れ。もっと岸辺に近づけるんだ、早く、もっと早くだ」と、孫次は龍神さまが目を覚ますほど、大きな声でどなりました。

「いけねぇ、舵がきかねえ」と佐平はあわてました。「それみろ。龍神さま。龍神さま。ゆっくり、ゆっくりでいいぞ。右へとれ」と孫次は佐平に教えました。舟は、やっと右岸の流れに乗りました。しかし、舟の底を傷め水が入るようになってしまいました。

     2(佐平が舟底を傷めたように、今でもここは難所でカヌーなどの川遊びする人たちに注意を喚起する大きな看板が岸に立っています)

傷めた舟底を直すため舟を川岸に上げました。大工が明朝来ることになり、孫次と佐平は、そこで寝ることにしました。

「親父。あの時、どうして龍神さま、龍神さまっていっただ」と佐平は聞きました。「ここはな、舟がよく難破するだ。あの大きい岩の下には、何そうもの舟が沈んでいるだ。ここを通る時は緊張して通るだ、話なんかしちゃだめだ」と、火に木切れを放り込んでいいました。

「眺めがいいもんで、左へ左へ、吸い込まれるように行ってしまっただ」と佐平は、今日初めて舵を取って失敗したときのことを思い出していました。

 

     4_2(犀川はここで大きく蛇行し、流れが変わります。土砂が堆積し中州ができ流れが二つに分かれています)

「舟が当たれば怖い岩だが、大事な大岩なんだ。見ろ、この大きい川の水がここの岩に突き当たっているだが、岩はびくともしねえ。大水が出ても、この岩たちが頑張っているので、周りの田んぼや畑は水に荒らされねえで助かっているだ。おらたちだって、流れがここで緩やかになるので、どんなにか、この後助かっていることだか」。
「神さまみてえな岩だな」と、川で獲った魚を焚き火で焼きながら親子の話は続きました。

     Photo(犀川流域では魚もたくさん生息していて、釣り糸を落としている風景があちこちで見られます)

朝になると、舟大工がやって来て、舟底を直し始めました。しばらくして直し終わると大工は佐平にいいました。「親父さんなら、心配ねえ。犀川の隅から隅まで知っているだからな。よく教わっておくだ。おらたちの小せえころ、この川の渦巻いているところに石ころを投げて遊んでいた子ども二人が、次の日から二人とも腕が痛くなってとうとう腕を切らなければならなくなってな。それからこの川は景色のいいところだが、怖いところでもあると噂がたって、石を投げ入れたりもしなくなっただ」。

     144 (舟大工が使っていた道具類=穂高郷土博物館蔵

佐平も「この怖いところで舟を傷めてしまっただが、親父のおかげで助かっただ」といいました。そばにいた孫次は「おらでねえだ。龍神さまのおかげだ」といいました。このとき、佐平はあのとき孫次が「龍神さま、龍神さま」といったことが分かりました。

孫次と佐平の二人は頭にねじり鉢巻きを結び直して気を引きしめ、舟大工に見送られて舟を信州新町へ向けて滑りだしました。

 

       * 『 明科の伝説 岩穴をほった竜 』(降幡徳雄著)を参考にしました。   

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