松本市島立の「松本市歴史の里」は、江戸時代後期から昭和初期までの歴史的建造物を移築した野外博物館です。
5棟ある建造物の中で最も大きく威厳と異彩を放つ建物が、旧長野地方裁判所松本支部庁舎で長野県宝に指定されています。
明治41(1908)年に松本城二の丸御殿跡に建てられた国内に現存する唯一の明治期の地方裁判所跡です。
終戦まで大日本帝国憲法下でこの法廷で裁判が行われ、その後も新憲法の下で昭和52(1977)年まで使用されていましたが、松本地裁が新築され歴史的役割を終えたことから解体計画が持ち上がりました。
しかし、保存を望む熱心な市民運動が起こり、その結果取り壊されることなく現在地へ移築復元されました。
その裁判所庁舎を守るかのように、赤レンガ造りの門柱と外塀が取り囲みます。
威厳を示すような4本の門柱、ぐるり巡らされた外塀の高さは2m近くあります。
イギリス積み工法で張り巡らされています。明治後期のまだ大してレンガ積み技法が地方に普及していなかった時期に、この門と塀を設計した技師とそれを忠実に積み上げた職人の腕捌きに感心してしまいます。
赤レンガ造りの門柱は、名門校・松本深志高校でも見られます。その伝統的な学舎で学ぶ生徒が、登下校で通るのが赤レンガ造りの「登龍門」です。
昭和26(1951)年に天守閣周辺にあった旧制松本中学校の赤門を移築したそうです。
通常、校門に刻まれるのは校名だと思うのですが、ここは成功へ至るために乗り越えなければならない難しい関門を表す「登龍門」になっています。
生徒たちに勉学に励むよう督励する意を込めて名付けたのでしょう。