裏道から見た伽藍、とりわけ本堂の瓦がすばらしいので、山門に回り境内に入りました。山門を入って70㍍ほどのところに本堂があります。
安曇野市豊科新田の高山寺という浄土真宗系のお寺さんです。
その本堂の屋根の庇にユニークなポーズをとる人物瓦が上がっています。
対で上がっていましたが、これは誰をかたどっているのでしょうか?
特定できませんが、道教に因んだ話に出てくる人物を現わしているのかもしれません。こちらは左手に巻物を持ち、右手は首の後ろに回しているようです。
もう一体は、大きく口を開いて満面笑みを見せ、大きな鴨のような鳥に乗り巻物を広げています。
開いた巻物を大きく拡大して見ると
明治廿四年 八月一日 上川手村
増沢長治郎 明玉焼
明玉作 本名 神谷房吉
と読めます。
このことから、明治元(1868)年に上川手村(現豊科・田沢)で瓦屋を創業した増沢長次郎(頌徳碑では長次郎)の下に出稼ぎできていた三州職人・神谷房吉の作であることが分かります。房吉はどういう意図でこの飾り瓦を作ったのでしょうか。
穂高宮城の有明山神社の手水舎に浦島太郎、孔子、孟子の飾り瓦があることについて、以前記しました。
有明山神社は明治8年に建てられていて、当時建築に携わった職人の名前が記録で残っています。そのうち瓦を葺いた職人として増沢長次郎の名があります。
平瓦や桟瓦と違って飾り瓦を製作するのには、相当な熟練した腕が必要となります。
長次郎が営む瓦屋には、鬼師としては神谷房吉が出入りしていましたので、有明山神社の飾り瓦も房吉の作であることが推察できます。
高山寺に上がっている謎の人物瓦と有明山神社の4体の装飾瓦とは、身体の輪郭に丸みをもたせるヘラ捌きなどに共通するところが見られます。
これは明治の早い時期に、三州の鬼師・神谷房吉が安曇野に遺した飾り瓦とみて間違いないようです。