信州の瓦鍾馗を探して-11   小集落で地域を守った鍾馗さん

むかし宮廷貴族社会で活躍した女流作家・清少納言は、「秋は夕暮れ」と称賛しましたが、休日の鍾馗さん探しをしている身にとって日暮れが早いのは、探す時間も写す時間も限られうらめしい季節です。

秋も深まったある日、松本市四賀の未探索地を拾い出し、逸る気持ちを抑えながら目的地へ向かいました。

松本市四賀の中心部から離れた山間部にいくつかの小集落があります。山間部ですから四方を山に囲まれています。

本村もその一つで、山の谷合に十数戸の家があります。車道が山の中腹部を走っていますので、集落が眼下に見渡せます。

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瓦葺きの家が多く、そのうちの一軒の宅に鍾馗さんが上がっていました。

四賀ではかつて瓦に適した粘土が産出し3軒の瓦屋があったといいます。3軒のうちのどこかで作ったこの鍾馗さんを、運んで来て上げたものでしょう。

同じ鬼板師が制作したと見てほぼ間違いのない鍾馗さんが、隣接する明科中川手でも見かけていますので、この推測は間違っていないと思います。

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京都府在住の瓦鍾馗研究家・服部正実さんは、「そんな山間部の小集落にも鍾馗さんがあるというのは、ある時期に、屋根に鍾馗さんをあげるという風習がかなりの勢いで広がったのだと思います。
それはやはり三州の瓦職人が入っていった事と関係があるのかも知れませんね、古そうな鍾馗さんで、穏やかな顔をしておられます」と、語ってくれました。

村の氏神さまとともに、鍾馗さんもこの集落の安寧を見守って来てくれたのではないでしょうか。

その日から3カ月ほど経った朝から青空が広がった冬の日、四賀の板場という集落を探索しました。ここでも一体の鍾馗さんと出合いました。

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 五常に上がっている鍾馗さんと比べると、制作技術に差があることは否めません。家人が 前庭で薪を割っていました。「建直し前の家に上がっていたものを新築後も上げている」と、薪割りの手を休めて話してくれました。

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瓦鍾馗に関する本を著したkiteさんこと小沢正樹さんは「京都あたりでは、古い鍾馗さんは縁起が悪いので新築の家には新しい鍾馗さんをあげるべし、といわれています。瓦屋さんの拡販戦略から出た迷信ではないかと勘ぐっていますがそれに比べ(信州の鍾馗さんは大事に継がれて来て)うらやましい状況です。他よりも素朴派のようですが私はこういう鍾馗さんが大好きです」とのコメントをいただきました。

* 小沢正樹さんが著した本は『鍾馗さんを探せ!!』で、詳しくはこちらです。

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