耳塚のはずれ、橋爪との境に、天満沢川(てんまさわがわ)をはさんで、「大塚さま」と呼ばれる祠(ほこら)と小さな鳥居のある塚があります。
この塚は安曇野に棲んでいた八面大王と呼ばれる鬼が坂上田村麻呂に退治され、よみがえられないように五体をバラバラにして埋葬したうちの大王の耳が埋められたという伝説がある塚です。
祠の中には、小指くらいの太さで長さ6、7㌢㍍の、ウツギの枝に細く割った竹をさして作った耳かきがたくさん供えてあります。この耳かきについて、こんな
言い伝えがあります。
(周りが田畑に囲まれた中に大塚神社があり、遠目からも塚であることが分かります)
いつのころか、天満沢川のほとりに作三、およしの夫婦と天作という息子が住んでいました。天作は、作三の話が大好きで、夜になると「おとう、ゆうべの話の続きをしておくれ」とねだるのでした。
ある夜、作三がいつものように、昔話を聞かせてやろうとすると「おとう、おら耳が痛てえ」といいます。天作の額に手をあてると、ひどい熱でした。それから三日目、およしが額や耳を必死に冷やしてやった甲斐あってか、天作の熱が下がりました。しかし、その時から天作の耳が聞こえなくなってしまいました。
ある日、およしが「どうずら、大塚さまにお願いしてみちゃ」。作三も天作の耳を治したい一心でうなずきました。そこで作三は天作をつれて、毎朝、ウツギの花が咲いていい匂いのする道を、大塚さまへお参りにいくことになりました。
「そうだ。この花を大塚さまにあげずよ」。 天作はそう言ってウツギの花を折っては毎朝あげました。祠の前のウツギの花は日ごとに増え、祠の前がウツギの花でうまるほどになりました。
そんなころ、大塚さまが作三の夢の中に現れました。「祠にあげてあるウツギの枝に竹をさして耳かきを作り、それで天作の耳が治るまで毎日ほじってみよ」といわれました。
(ニシキウツギの花。ウツギには、他にもバイカウツギ、ノリウツギがあります)
次の朝早く、作三は大塚の祠の前のウツギの枝をもらって来て、お告げどおりの耳かきを作り、天作の耳をほじりました。
二十一日目の朝、「おとう! 耳が聞ける」天作が叫びました。「ふんとか」。作三とおよしは、大喜びしました。不思議なことに、天作の耳は元通り聞こえるようになったのです。
作三は、同じ耳かきを天作の年の数にちなんで六本作り、お礼参りをしました。それから村の人たちは「大塚さまは耳の病を治してくださる」といって、耳を患うと大塚さまにお参りし、作三のあげた耳かきをお借りしては、病んでいる耳を治しました。
そして、耳が治ると、その人の年の数だけウツギで耳かきを作り、大塚さまの祠にあげてお礼参りをしたということです。
* 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。