安曇野に架かる橋(8)~ワシントン街道にあった富田橋

穂高駅から西側に面する北アルプスに向かう道を登ってくると、橋に差し掛かります。下を流れる烏川に架かる富田橋です。コンクリート製の見るからに頑強そうな橋です。

橋の上から、信濃富士の別名をもつ有明山の秀麗な姿が正面に望めます。

     007

竣工が昭和39(1964)年ですから、誕生後50年を経て現役で活躍していることになります。欄干のシンプルな格子柄が古い歴史を語るかのように、際立って見えます。

橋の延長は123㍍、幅員は6㍍です。

     003

この富田橋が初めてできたのが大正13(1924)年で、木橋でした。これによって有明地域と穂高中心部が結ばれ、当時の主要幹線道であった北国脇往還道や千国道との行き来ができるようになったとの記述が、「穂高町誌」にあります。

その後、補修や架け替えを重ね、現在のコンクリート橋になっています。

国道147号側から富田橋を渡り、堤防道を下流沿いに行くとまもなく大きな九棟の建屋が見えます。ハンセンスな高級靴で知られた、銀座ワシントン靴店の有明工場跡です。

     019

昭和20(1945)年に空襲の激化にともない、直営工場を東京から穂高有明に移し、平成15年まで生産拠点として操業していました。下の写真は、昭和28年当時の工場内部の模様です。

           Img_2274

昭和40年代に最盛期を迎え、婦人靴の生産は1日1000足を超え従業員も800人を数えたといいます。

後日、当時の様子を取材した地域紙は「毎朝、最寄りの穂高駅から工場までの道は、電車通勤の従業員が列をなし『ワシントン街道』といわれた」と記しています。

“ワシントン街道”にこの富田橋がありますので、朝夕、たくさんの通勤者が格子縞模様の橋を渡ったことでしょう。

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。