むかし、決まった時間になると、震えがきたり熱が出たりする病気がはやり、「おこりの病」と呼び新明さま(住吉神社)に丑の刻(午前二時ころ)参りをすれば治るといわれていました。
楡(にれ)に住む市之助がおこりの病にかかり、長い間よくならないので近所の人のすすめで丑の刻参りをすることになりました。市之助は臆病なこともあり、真夜中に社(やしろ)にお参りするとあって、腰が引けた形でおそるおそる歩き社の草原まで来ました。
(天明六年=1786年頃の建立といわれる住吉神社。本殿は市有形文化財に指定されています)
すると向こうの方で、パチパチと火の燃える音がして、ボウッと明るくなっていました。「はて今ごろ、おかしいなあ。……誰ずら?」と思いながら近づくと、お宮の近くに住む半助が、麦からを燃やしていました。
「ばかに働くじゃねえか、丑の刻だっていうに」と声をかけると、半助は「風のねえ時に燃やさなけりゃ。火事をだしゃそれこそ、えれえことだでな。それよりおめえさん、こんなとこへ何しに来ただや」とたずねました。
(住吉神社は大きな杜の中にあり、推定樹齢1000年以上の檜をはじめ社全域が叢林となっています)
市之助はおこりの病で丑の刻参りに来たことを話すと、「おおそうかや。早く行けや。じきに丑の刻になるずら」と、半助はせかしました。市之助は社の前に行き、拝んでいると後ろのほうに人の気配を感じました。
振り返ると、なんと人の五倍もありそうな大きな坊さんが立っているではありませんか。「助けてくれー」と叫びそうになりましたが、半助がいたことを思い出し、恐ろしいのを我慢して半助が火を燃やしていたところまで戻りました。
「おぉーい、半助さ、いたかや。半助さやぁーい」と呼ぶと「「なんだや、えらくおどけた声出して、社になにかいただかや」と半助がたずねました。「いたの、いねえのってもんじゃねえわ。そりゃでっけえ坊さまが、おれの前に現れただ。肝冷やしたぜ」というと、「ほう、そうかや。その坊さまはこんくらいだったか」。
半助はそういったかと思うと、森の上へ出るくらいの大きな坊さんが立っていました。「ヒャーア」。市之助は悲鳴を上げると、腰をぬかさんばかりに驚いて走り出しました。どこをどう走ってきたか分かりませんが、つまずいては転び、はいずっては立ち、夢中で走って家にたどり着いていました。
ふとんをかぶって、寝ようとしましたが、体はガタガタと震え、歯はカチカチと鳴り続けていました。しばらくすると、疲れが出たのか、うつらうつらと眠ってしまいました。
「こら、市。いつまで寝てるだ。へえ、お昼だぞよ」。母親の声で市之助は、目を覚ましました。外で顔を洗っていると「市、えらい遅いお目覚めじゃねえか。おこりの病はどんなあんべえだや」と、半助の声がしました。
市之助は半助の頭のてっぺんから足の先まで、じっと見てしまいました。「おい、そんなにジロジロ見るなよ。何かついてるだかや」と、半助にいわれて、はっとわれに返った市之助は、昨夜のことを半助に問いただしました。
(広い境内には池もあり、木陰のなかで遊ぶ子どもたちの姿もあります)
「おれがか、じょうだんじゃねえぞよ」と、半助はまったくキツネにつままれたような顔をしています。市之助はさらに半助にうそをついていないか話を聞こうと部屋に通しました。話をしていると市之助は、不思議にいつもの振るえがでてきません。話はしばらく続きましたが、振るえはついにきませんでした。
市之助の振るえは、その後も起こりませんでした。キツネに化かされたとはいえ、おこりの病が治ったことは良かったと市之助は喜びましたが、あのおそろしかったことを思い出しては、ときどき身震いしたということです。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参照しました。
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