田多井の観音堂は、むかし寺山の峰にありました。大きなお寺で、境内は東西200㍍、南北に100㍍もあり、本堂は四間四方(約7㍍四方)、本尊さまは千手観音で、住職も住んでいて盛んなお寺だったということです。
その当時の話です。
(隆盛を誇った面影はないものの、村人たちの手で観音さまは静かに安置されています)
村人たちは、このお堂の前を通るときは必ず立ち止まってかぶり物を取り、お参りして通るようにしていました。
ある日のこと、弥七は林の草刈りに行くため、観音堂の前を馬に乗って通りかかりました。村の人が「観音さまの前を通る時は、馬から降りねえと、えれえ目に遭うぞ」と声をかけました。観音さまの前を馬から降りずに通ると、落馬して怪我をするという噂が広がっていたからです。
「馬から降りろだと! ここの観音さまは、そんなにえれえだか」と弥七は、村の人のいうことに聞く耳を持ちません。弥七は馬から降りず、お堂の前を通り過ぎました。
通り過ぎて少ししたところで、急に馬が「ヒヒーン」といななき、後ろ足で立ち上がりました。「ウワァー、助けてくれぇー」 弥七は大きな声で叫ぶと同時に、振り落とされてしまいました。
そして馬の手綱が身体に絡まったまま引きずられ、石に頭を打ち付けてしまいました。ようやくのことで近くにいた人たちが馬をなだめましたが、弥七は大けがを負ってしまいました。
(観音堂の周辺は立派な大きい枝垂れ桜がたくさんあり、花のころは遠くからも撮影に訪れる人たちでにぎわいます)
そんなことがあって、しばらくしたある日、役人が村の視察に馬に乗って来たので、組頭が道案内しました。やはり、観音堂の前まで来たのですが、役人は馬に乗ったままです。組頭があわてて言いました。
「お役人さま、観音さまの前を通る時は、馬からお降りくださいませ。このままでは、馬が暴れてしまいます」
「ハッハッハッ、馬が暴れるとな。それはおもしろい」と、役人は聞き入れません。そのまま、お堂の前を通り過ぎました。通り過ぎて少ししたところで、馬が突然「ヒヒーン」といなないたかと思うと、後ろ足で立ち上がり、そして今度は前足を踏ん張り、後ろ足を跳ね上げます。
二度三度、馬が激しく繰り返した瞬間、役人はたまらず地面に投げ出されてしまいました。そして、腰をしたたか打ってしまいました。
(寺社の門前などにあらかじめ馬から降りることを告げる石碑を建てていたところもあります。写真は戸隠神社奥社の門前)
この話が、村の隅々まで広がり、隣の村からそのまた隣の村へと伝わり、いつしかこの観音さまを「下馬落としの観音さま」と呼ぶようになりました。そして観音さまの前を通る時は、前にも増して、心をこめてお参りするようになったといいます。
しかし、隆盛を誇った観音堂はその後、火事に遭って焼け落ち住職も去り衰えてしまいました。村人たちは、このままではいけないと話し合い、今の田多井の地に観音堂を再建し祀っています。
* 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。