信州の鏝絵に見る左官職人の技-11   一生稽古に励んだ小川天香

「一生稽古」を座右の銘とした小川天香は、自ら制作した作品に押す落款にもこの言葉を用い、仕上げた作品は一点も売ろうとしなかったといいます。

しかし、社寺には奉納する形で大作を寄贈しています。前回見た頼岳寺の十六羅漢は、大正6(1917)年の作ですが、それよりも先に奉納した献額が諏訪大社上社本宮に今も残っています。

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奉納額の右に小川善彌の銘が刻まれています。善彌は本名、天香は雅号ですが作品には実名を記しています。

上の諏訪・上社本宮に献額したのが、天香23歳の明治34(1901)年です。

ところで、この図はいったいなんでしょうか?

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水車小屋の見える山道で、湯桶を頭にした色白の美人の背後から田舎侍が着物の袖に手をくぐらせ露わとなった女性の乳房を掴もうとしています。

今なら痴漢行為でお縄をいただくような様子を描いていますが、由緒ある社に奉納する献額としてはいかがなものかと考える向きもいるのではないでしょうか。

しかし、大社へ奉納されたものですので、いかがわしいものではないはずです。

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小川天香が漆喰彫刻の道を志して上京したのが、日清開戦の明治27(1894)年で天香16歳の年です。5年後の同32年に伊豆の長八の高弟・今泉善吉に弟子入りしています。くしくもこの年、長八が他界しています。

天香は、その後、東京・帝国劇場の天井壁画を描き、千葉県庁や新潟市役所の壁塗りを手掛けたり、京都七條駅の御便殿の装飾の仕事をしたという記録が残っています。

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