鍾馗(しょうき)が、なぜ邪気悪病を払う神となったかは中国の故事にさかのぼります。鍾馗は、中国・唐の時代の進士を目指した人物です。
進士とは、日本の国家公務員に当たる官吏(科挙)登用の学科試験の合格者です。 しかし、鍾馗はこの難関に挑みましたが不合格となり、失意のあまり自らの命を絶ってしまいました。
その後、唐を治めていた第六代の皇帝・玄宗がマラリヤに罹って臥せていた時のことです。高熱にうなされていた玄宗の夢のなかに小鬼が現れ、玄宗が大事にしていた玉笛を盗んで逃げようとしました。
その時、大鬼が逃げ道をふさぎ、この小鬼を捕えて食べてしまい、玉笛は無事玄宗に戻りました。
皇帝が「お前は何者か?」とたずねると、鍾馗と名のり科挙試験に失敗し宮中で自ら命を絶ったものの「先代の皇帝(高祖)に丁重に葬られたことを恩に感じ、天下の災いを取り除く誓いをたてました」と答えました。
玄宗が夢から覚めると、病はすっかり平癒していました。玄宗は、夢に見た鍾馗の姿を絵師に描かせ、、邪気を払う力があるとして世の中に広めさせたということです。
玄宗は善政を行ったようですが、晩年、絶世の美女・楊貴妃を寵愛し政務を怠り、安禄山の乱を招いたことでも有名ですね。