漆喰細工を尋ねる旅-5   絢爛華美で色褪せしないサフラン酒造の装飾蔵(新潟県長岡市)

艶やかで大きく描かれた鏝絵の大作として名高い長岡市摂田屋の機那サフラン酒造です。

くしくも訪れた日が、中越地震からちょうど8年を経た日に当たりました。

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中越地震は平成16(2004)年10月に発生した新潟県中越地方を震源としたM6.8の直下型の地震で、長岡市川口町では最大震度7の大きな揺れを観測しています。

死者68人、負傷者4,805人、家屋の全半壊は1万7000棟に上る大きな被害がでました。

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惨禍はそれだけに止まりませんでした。翌年の1月下旬から2月上旬にかけて記録的な豪雪となり、所によっては4mを越える積雪量となりました。

地震で被害を受けた80棟近くの建物が積雪の重みで倒壊するという二次被害にも見舞われました。  

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摂田屋でも機那サフラン酒造本舗の鏝絵蔵の漆喰壁が一部剥落したのをはじめ、多くの建物が傷ついてしまい長らく修復も進んでいませんでした。    Img_4598

ここに来て修復を終えて公開を再開したという話しがありましたので、この日ようやく都合をつけ訪れることになったのですが、震災から8周年になっていたということは念頭にありませんでした。

鏝絵蔵はすっかり修復され蘇っていました。

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蔵に描かれた極彩色の鏝絵は、塗戸(ぬると)すべてにとどまらず、軒回り、楣(まぐさ)まで蔵全体に及びます。

そして、腰周り高く貼りめぐされたなまこ壁が絶妙に調和を保っています。

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軒下には、頂上部の吉澤の吉の字を宝珠を模った中に入れた屋号を守護するように双龍が描かれています。

防火の願いを込めて描かれる龍の表情は険しくなく、和める印象を与えます

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鏝絵は十二支をはじめとする17種の動物、霊獣、9種の植物を色調鮮やかに描き出しています。

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正面東側の2階の塗戸に描かれているのが鳳と凰の2羽の神獣で、世の中が平和に保たれている時に姿を現わすという中国で生まれた伝説上の鳥で、鳥類の長とされます。

ベロ藍(ブルシアンブルー=ベルリン藍の訛)を使った鮮やかな紺青が目を惹きます。鳳凰は桐の木に宿し、竹の実を食べるといわれることから桐も描かれています。

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同じ1階の左手の観音開きの塗戸に麒麟、右手に玄武が描かれています。

麒麟は鳳凰と同じく平穏治世のときに現れると言われ、殺生を一切せず 肉も植物も口にしないとされる神獣です。

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鳳凰も麒麟も架空の動物なのですが、雌雄の別があるそうです。鳳は雄を、凰が雌で、麒麟も麒が雄、麟が雌を指すということです。

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玄武は蛇を体に巻きつけるのが多いのですが、この蔵は扉上半部に蛇を配置しています。

蔵の裏手(北側)に回ると圧巻です。

塗 戸に鮮やかな色調で描かれた干支の動物たち、腰高く二回の梁まで張られた丸盛四半張りのなまこ壁、軒下に幅広く蔵を被うように描かれた唐草文、桟瓦葺きの 屋根に載る鯱の飾り瓦、漆喰壁の左右に取り付けられた折れ釘と、どれをとっても一つひとつが完成された美の世界を創っています。

日本海から湿った海風が吹き付けても、おそらくは開け放たれたままで閉められることがなかったであろう絢爛さを誇る塗戸の極彩色漆喰絵を見ていると、実用性よりも装飾性を最大限追求した土蔵の典型といえます。

圧倒されんばかりの艶やかさと調和のとれた美しさです。 

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およそ窮乏生活に耐えた「米百俵」の土地柄に似合わない華美な装飾蔵です。

この蔵がある摂田屋は旧三国街道が走る要路であり、長岡藩の支配地から外れ幕府直轄の天領、しかも特別の格式がある上野寛永寺様御料地として酒や味噌の醸造で栄えたという歴史がありますので、そうした土地柄、地域性から来ているのかもしれません。

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盛時には摂田屋だけで五軒の酒蔵が軒を並べ、長岡藩内の需要の七割をまかなっていたといいます。

そして、機那サフラン酒の創始者・吉澤仁太郎は薬用酒の醸造事業に成功し一代で財を築き上げた立志伝中の人物だったといいます。かつて薬用酒の世界では、「越後のサフラン酒」は「信濃の養命酒」と並んで勢力を二分する勢いだったそうです。

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文久2(1862)年、貧農の二男として生まれた仁太郎は、25歳になった明治20(1887)年に摂田屋に来て、サフランの生産とサフラン酒を製造し竹筒に入れて販売したそうです。

家伝の秘酒・サフラン酒はサフランと10種ほどの植物抽出液をアルコールと混合し、疲労回復、滋養強壮、血の道、月経不順、冷え性などの薬効を謳い、行商に出たといいます。

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商才に長け、奇抜なアイデアの持ち主だった仁太郎は、行商に出るとまず街の薬屋を訪れ、酒の試供品を置いてもらい、そのあと投宿した先で腹をおさえて苦しむ一芝居を打ったそうです。

気の毒がる女中を盗み見しながら「実は最近サフラン酒という薬があって、これが痛み止めに効くというからぜひ手に入れてくれ」といって試供品を置いた薬店まで走らせ、これを飲んで元気を回復するという自作自演劇を繰り返し、サフラン酒を広めたという話が伝わります。

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やがて、新潟、酒田、さらには北海道各地へと日本海航路の北前船を利用して販路を広げ、昭和初期にはハワイまで販売網を拡張したそうです。

こうしてサフラン酒の醸造で財をなした吉沢仁太郎が建設したのが、この豪奢な鏝絵蔵です。事務所兼店舗に並んで豪邸も建っています。築年は大正15(1926)年だといいます。

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北側(裏手)の扉に描かれているのは7面で、2階は向かって左から亥(猪)と笹、寅(虎)に竹、子(鼠)と万年青、丑(牛)に紅葉、1階は午(馬)に桜、戌(犬)に牡丹、未(羊)に芭蕉が描かれています。

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午や丑には紅殻(ベンガラ)を用い、鳳凰や麒麟に使っているベル藍をはじめとする顔料は、長い年月の間風雨に晒されながらも今なお鮮やかな色彩を保っています。

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ところで、この漆喰細工はサフラン醸造の近くに住んでいた河上伊吉という左官職人が制作したということは分かっているのですが、伊吉がどこで左官の修業を積み、誰に鏝絵の技と顔料の配合を学んだのかなど、これまでほとんど分かっていません。

これだけのものを遺した伊吉ですが、長岡市はじめ近隣に当然あっても不思議ではない伊吉の作品が、これまでのところ他に見つかっていません。

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長岡の街は戊辰戦争と太平洋戦争終了直前の空襲で2度灰燼に帰しています。

B29爆撃機による焼夷弾の空襲を受け街の8割を焼失したといいます。このときに伊吉が描いた鏝絵も失われている可能性もあります。

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南側の2階の開き戸にも鏝絵があり、酉(鶏)と菊、卯(兎)に松が描かれています。

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さて、ここまできて十二支ですから足りない動物がいます。そうです、申(猿)と巳(蛇)がいません。なぜ伊吉は描かなかったのでしょうか?

塗戸が足りなかったからでしょうか、それとも描くにはばかる何かの訳があったのでしょうか?  

そうではなく、限られた塗戸や壁に何を描くかに当たって仁太郎あるいは伊吉は干支よりも四聖獣(四神)・五霊を描くことを重視したのではないでしょうか。四聖獣(四神)とは玄武(亀)・白虎(虎)・青龍(龍)・朱雀(鳳凰)の四体の瑞獣です。麒麟が入ると五霊となります。

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日本では十二支に比べて四神・五霊が描かれているケースは限られていて、薬師寺の薬師如来(中尊)像の台座、高松塚古墳(朱雀が盗掘により欠損)壁画、キトラ古墳壁画などでしか見ることができません。

そして気を付けないと見落としてしまうのですが、室内の壁にも2点あります。

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施錠されているため中へは入れませんが、ガラス戸越しに鶴と亀(玄武)、左手の壁に2羽の鶴と松が描かれているのが見えます。  

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しかし、幾つかの資料を見ると大黒天、恵比寿の2柱も描かれているとあるのですが、これが見当たりません。やはり室内奥の壁に描かれているのでしょうか。

 

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