鬼師が遺した飾り瓦 ~ 鍾馗もいろいろ

「遠くとも一生一度は詣れ」と昔からいわれた善光寺。江戸時代から各地の街道に善光寺へ向かう道として「善光寺道」の名がつくほど往還や宿場は賑わいました。

人々 が行き交うといろいろな生活情報が伝わり、屋根瓦にも西国の飾り瓦を上げる風習が伝わりました。西国からの人々が善光寺を往来した街道の一つに北国西往還 (善光寺西街道)がありますが、多くの宿場とその周辺の屋根に鍾馗、恵比寿、大黒をはじめとした装飾瓦を見ることができます。

しかし、善光寺のある長野市に入ると飾り瓦の数が減り、瓦鍾馗も姿を消すかのように少なくなります。

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善光寺を目前に犀川越えの渡しを控え、すぐ近くに
丹波島宿があり、ここに7体の鍾馗がありますが、他地域では2カ所以外見ることができません。

そのうちの一体が、同市稲葉の民家の小屋根に上がっています。上の写真でいうと戸袋の近くになります。

右手に握っていた刀剣が欠損していますが、口を固く結んで大きな目で邪鬼を睨みつけています。    

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『鍾馗さんを探せ!!』の著書があり、全国の瓦鍾馗蒐集の旅を続けている小沢正樹さんに教えていただき見て来ました。

その小沢さんが安曇野へ来られた折に発見した豊科高家(たきべ)の小屋根の上に飾られていた鍾馗です。

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全国を探訪しているだけあって、嗅覚が働くのでしょうか? 短時間のうちに探してきました。

瓦鍾馗といえば、上の写真のように長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で悪霊や疫病を家に寄せつけないため睨みをきかせている姿で表されます。

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筑北村には鍾馗の姿を模ったものではなく、文字を刻んだ鬼瓦がありました。「鍾馗」の文字で悪霊は退散するのかな?と拍子抜けしました。

しかも鍾馗さんの鍾の文字が、「鐘」に化けています。

こちらも、鐘になっています。

「少し線が細いな、もっと肉太な文字にして悪霊に睨みを利かせて欲しいな」と思ったのですが…。

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そして、これは極めつけといったところでしょうか。「鍾鬼」と刻まれた文字瓦です。小鬼を退治するのが鍾馗さんで、鍾馗は「鬼」ではないはず。

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瓦職人さんの遊び心? それとも単なるミステークなのでしょうか。

これも分かりません。

 

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