かつて製糸業で繁栄を極めた須坂。昭和恐慌の荒波にもまれ衰退しましたが、今でも街のあちこちに往時を偲ばせる屋並みや繭蔵が残ります。
神町の神林家は、明治18(1885)年に建築された製糸工場で、広大な敷地内に女工さんたちの寄宿舎まで有していました。
今は工場などの建物はすでになく、経営者が住んでいた母屋が残るだけです。この母屋は典型的な町家造りをそのまま残しています。
大棟をはじめ屋根の主要なところに飾り瓦が乗っています。いずれも三州からの出稼ぎ鬼師・森田梅吉が制作したものです。
妻飾りが立派で、棟の鬼瓦に鳥衾が付いた縁起ものの鶴と亀が乗せられています。
その下の妻面に、工場や屋敷を火災から守る願いを込めた見事な遊び龍が飾られています。
ふくよかで満面に笑みを湛えた大黒天と恵比寿(下)です。実にうまく細工されています。
須坂市立博物館発行の『須坂の甍』によると、鬼瓦、飾り瓦などの「細工もの」を作るに当たって、地場にその技術をもった職人がいなかったため遠く三河から鬼師3人を招き、技を学んだといいます。
恵比寿の下に竹べらで刻んだ宝の文字が見えますが、こうした意匠も三河鬼師が伝えたものです。
神林家では「明治14(1881)年ころ、豊野(現長野市)の瓦師にわざわざ頼んで造ってもらった」と伝えられていて、鬼師・森田梅吉の作と見られています。
母屋の軒に載っている留蓋瓦の竹林の虎です。
強い経口感染症でコレラという病気がありますが、日本で初めてコレラが確認されたのが江戸期の文政年間で、65万人が発症し多くの人たちの命を奪ったという記録があります。
相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられ、その後、コレラは怖い流行り病として恐れられました。
近在の村々から工女さんとして娘さんを預かり集団生活させていたわけですので、感染症などの流行り病が発生したら大変です。
経営者は鬼師に縁起ものの他に疫病除けのため、強い力で魔物を寄せつけないという虎の装飾瓦を作らせ飾ったりしたのでしょう。
鋭い爪を持ち前足に重心をおいて、悪霊が家に近づけば今にでも襲いかかりそうな威圧感を持った虎を森田梅吉は遺しました。
三河鬼師の技術は大作に限るものではなく、軒瓦、軒丸瓦などの小品も製作しています。森田作の波兎で、同家に軒瓦として並んでいます。