以前、「わだつみの声を遺した乳房橋」の記事で戦没学生の上原良司について、ご紹介しました。
第二次世界大戦時の昭和18(1943)年、徴兵猶予停止により慶應義塾大学生だった上原良司は学徒出陣で大学を繰り上げ卒業、入営し戦地へ赴きました。
終戦3カ月前の昭和20年5月11日、陸軍特攻隊員として命を受け鹿児島の知覧飛行場から出撃し、沖縄の西北洋上の米軍艦船に突撃して散華しました。22歳でした。
上原は出撃の前夜に、「所感」と題する遺書を記します。戦後まもなく戦没学生の手記をまとめた『きけ わだつみの声』が出版されますが、その巻頭に収録されているのが上原良司の遺稿で、読んだ人の心を打つ内容が記されていました。
佐賀県の目達原基地で訓練中の上原良司(画像は、ウィキペディアより転載)
当時の世相の中で上原は、軍国主義日本の特攻作戦を「人間を器械として消耗」する行為と告発し、批判する自由のない日本の敗北を明言しました。ファシズム、全体主義を否定し、自由主義の普遍性を書き記し、「自由の勝利は明白な事実だと思います」とまでいいながらも不帰の出撃に旅立ちました。
上原良司は、池田町に生まれ、安曇野市で育ちました。池田町では「町ゆかりの人」として顕彰するとともに、記念碑(下の画像)を安曇野を一望できる高台に造り、平和と自由へのメッセージを後世へと引き継ぐ催しを開催しています。
顕彰活動を続けて来ている「上原良司の灯を守る会」は、今年が上原良司の生誕90周年になることから、6月17日(日)に「偲ぶ集い」を開きます。
上原良司研究の第一人者を招いた対談などが予定されています。
集いは、同日午後1時から池田町創造館で、参加無料です。詳しい問い合わせは、「守る会」事務局(☎ 0261・62・5078)です。