長野方面に向かうため、久しぶりに国道19号を走りました。
19号沿いに瓦鍾馗がいる可能性は極めて低いと思っていましたので、期待はしていなかったのですがカメラだけは用意していました。
山深い大町市八坂(旧北安曇郡八坂村)を走っていたとき、目をやった先に…、「アッ、あれは?」。
なんと大棟の中央部に載っているではありませんか! 驚きました。こんな人家もまばらなところに! Uターンして戻り、シャッターを押したのがこの鍾馗さんです。
家人の話では、「亡くなったおじいちゃんが大正12年生まれで、生まれた時には屋根に載っていたという話を聞いています」ということですので、90年を超える歳月、この家の安寧を見守ってきたことになります。
実に古色を感じさせる手びねり鍾馗さんです。
19号沿いではこれまでに豊科で3体、明科で11体見ていますが、これは近くに瓦屋や粘土の産地があったことから頷くことができまです。しかし、この鍾馗さんは、瓦の生産地からもずうっと離れた山里です。
90年前に他地域で制作し、牛馬に荷車を引かせて運んだとしても山中ですのでアップダウンがあり、道の状態も良くなく容易なことではなかったはずです。
そんなことを思いながら、そのお宅を離れ小道に出て北側の30mほど奥まった家に目をやった時、さらに驚きました。
越屋根に悠々と聳え立つ巨大な鍾馗さんがいるではありませんか。
目視で有に1mはあるでしょう。実に威風堂々とした風格のある鍾馗さんです。
瓦鍾馗研究家の服部正実さん(京都府在住)は、「これだけ大きい鍾馗さんが作れるのはかなりの腕の職人で、実際にこの鍾馗さんはよく出来ていますね」と語っています。
やはり、瓦鍾馗研究家で全国を旅して記録に収めている小沢正樹さん(愛知県在住)は「京都で等身大の鍾馗さんを見ましたが、この鍾馗さんはそれに次ぐ日本で二番目かも知れないですね」と、大きさに驚かれています。
京都の巨大鍾馗さんは、玄関近くに飾られているとのこと。だとすると屋根に上がっている鍾馗さんとしては、これが最大のものということになるのでしょうか。
瓦の焼成、運搬、さらには屋根に上げるときも大変だったのではないでしょうか。
撮影を終えて国道に出るとバス停がありました。バス停に「舟場」と、ここの地名が記されてあります。犀川が近くを流れています。
「そうか!舟だ」と大きな声を上げてしまいました。まだ架橋も十分でなく陸運が発達していなかった頃、松本の巾上から信州新町までは物資の運搬は舟運だったことを思い出したからです。
これだけ大きく重いものをここまで運んだのは舟以外にないと確信しました。それではどこで作ったのか、これが分からなければなりません。
この鬼師がどこにいた人なのか興味がいよいよ増してきました。
上は同じ宅の小屋根に上がっていた鍾馗さん(上)と躍動感あふれる波ウサギ(下)です。
この宅の装飾瓦を作った鬼師は、服部さんが言われるように高度な制作技術をもっていたことがうかがえるのではないでしょうか。