むかし、北小倉に新八という、まじめで働きものの百姓さんがいました。朝は早くから夕方まで、田や畑で働きました。ですから、新八の田は立派な稲が育ち、畑の豆や野菜はとってもよくできたので、町の方へ売りに行っても高く売れました。
でも、新八は仕事に熱心でも、家族のことはさっぱりかまいません。女房のそのや子どもは、いつも貧しい身なりをしていました。
ある日のこと、新八は草刈りにでかけました。鎌で草をザクザク刈っては縄でしばり、大きな束(たば)にして背負いこみ、自分の田んぼへ運びました。
(ヘビは神さまの使者として神社に祀られていることがあります=穂高・有明山神社裕明門)
「さあ、これを田へ踏み込むと、いい稲ができるぞ」と、草を短く切って足で土の中に踏み込んでいきました。しばらく続けていると、どうした訳か、目がちらちらして、ものがぼうっとしてかすんで見えるのです。
「おかしなことだな。どうしただや」。しばらく休んでみましたが、同じ状態が続くので仕方なく家に戻り、そのに見てもらいました。そのは「なんともなっていねえじ。きっと働き過ぎじゃねえかい。少し休みましょ。明日になりゃ、きっと良くなるで」といいました。
しかし、次の日になっても新八の目は治りません。それからというもの、八方手を尽くして薬を買って飲んだり、町医者にも診てもらいましたが少しも良くなりません。
困り果てていた新八のところに、隣の弥七が訪ねて来て「こんだけやって治らねえところを見ると、なんかのたたりかも知れねえ。易(えき)を見てもらったらどうかね」といいました。
(むかし、草刈りするときは、写真一番手前の柄の長い鎌を使ったということです=穂高郷土資料館蔵)
新八は、そのに手を引いてもらい、易者を訪ねました。すると「これは、諏訪明神の使いの蛇の尾を草刈りの時に切ったため、目を病んでいるのだ。その場所に諏訪明神をお祀りすれば、きっと治るに違いない」と、易者はそういう卦(け)が出たといいます。
さっそく家へ帰って草を刈った所へ行ってみると、易者の言ったとおり、干からびた蛇の尾がありました。「やっぱり易者さまの言ったとおりだ。父ちゃん、諏訪明神さまをおつれして、ここに祠(ほこら)を建てましょや」と、そのが新八に言いました。
「おう、そうだいなあ。諏訪明神さまに悪いことしちまった」と二人は、周りの草を取り土を掘って蛇の尾を埋めました。それから数日後、祠を建てて祀りました。
次の朝、新八は目を覚ますと驚きました。周りのものがすっかり見えるのです。「諏訪明神さまが許してくださったのだ」と、二人は天にも昇る気持ちで喜びました。
それ以来、毎年、草刈りして蛇の尾を切った日には、紙のぼりを立て、赤飯をそなえ、お神酒(みき)を上げ続けたということです。新八も、それまでのようにがむしゃらに働くこともなく、そのと子どもたちを大事にして暮らしたということです。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。