連ドラ「おひさま」にでてきた安曇野の風景(14)~街角の看板

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。


陽子たちは女学校時代の行き帰りに安曇野の商店街を通りました。その背景に商店や商品の看板が出てきました。

公共放送NHKのドラマですから、固有名詞はすべて架空の商店や商品名の看板になっていると思ったのですが…。

まず、画面左上の看板に注目してください。

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下の写真とそっくりではありませんか? 店名も書体も、右隅に描かれている女性のイラストの配置も。

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この写真は昭和16(1941)年に撮られたこの商店の家族写真です。場所は安曇野市の隣りの池田町です。日用雑貨品から化粧品、文具類などを販売していた「蔦清商店」が実在していたのですね。今はありませんが…。

街角の時代考証、看板一つにもリアルに行こうという制作スタッフの意気込みが伝わってくるのではないでしょうか。 

安曇野市内で今も、明らかに昭和の時代のものと分かる看板を目にすることができます。ただ現役でがんばっているものもあれば、店をたたんでしまい、かつて商売を営んでいたことをうかがわせる看板もあります。

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「昭和も遠くなりにけり」という言葉も聞かれる昨今ですが、昭和という時代の街角の名残りが偲ばれて来るのではないでしょうか。

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ドラマにでてきた陽子が嫁いだ蕎麦店「丸庵」の看板です。

 

陽子たちは女学校の帰り道、親友とよく街中の「村上堂」という飴屋に立ち寄りました。

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その村上堂の「あめ」看板をよく見て下さい。これは…

下の写真の右側にある松本市の新橋飴店内にあるマスコットをヒントに制作しています。

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陽子たちは、村上堂に入るといつも指定席の奥まった席で甘味を楽しんでいました。よく見ると、奥の塀にビールの看板が掛かっているのが見えます。琺瑯(ほうろう)製の看板です。

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かつては街角の電信柱や家屋の塀、物置小屋などに見られた琺瑯看板も、めっきり減ってきました。それでもよく探すと、古い商店や街の角地などで見ることができます。

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こちらは日本酒の琺瑯看板です。安曇野と周辺は清澄な水と米に恵まれていることから酒蔵もあり、地酒の清酒看板が多く見られます。

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酒といえば、タバコでしょうか。タバコの看板もよく出てきました。         

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タバコを売る店もめっきり少なくなりました。コンビニやスーパー、あるいは自販機で販売するようになったことや健康問題から喫煙人口が大きく減少したことからタバコ専門の小売店もなかなか見られなくなりました。

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ですから、タバコ看板もしまい込まれ、「向こう横丁のタバコ屋の看板娘」の姿も今は見られなくなりました。

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安曇野は農業も盛んですので、農機具や肥・飼料の琺瑯看板も残っていたりします。

 

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陽子が父と松本の街を散策した時も、後ろの板塀に学生服の琺瑯看板が映っていました。陽子の兄たちが着ていた学生服は、丸石だったのでしょうか、それとも忠臣学生服?

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そして陽子が女学校へ通う時、乗っていた自転車は「宮田の自転車」?

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「昭和」の匂いが漂う看板も街角の隅に今も探し出すことができます。

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