漆喰細工を尋ねる旅-4  老舗割烹の鏝絵広間(新潟県出雲崎町) 

長野道、上信越道、北陸道と乗り繋いで出雲崎へと入ったのですが、訪れた日は発達した冬型の低気圧の通過ということで天候が大きく崩れ、着いたころは篠つく雨になりました。

ワイパーを最大限に動かしても、フロントガラスに激しく叩きつけてきます。

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裏手に車を止めて降りると、すぐ目の前が日本海です。海上は大時化で、いつもは鳴きながら飛んでいるだろう海猫も羽をたたんで風雨を凌いでいます。午後3時前だというのに空一面が部厚い雨雲で、薄暗くなっています。

駐車場から正面玄関へと回りますが、奥行きの長いことに驚きます。この地方独特の造りで「妻入り」と呼んでいるそうです。奥行きの長さに比べると、間口が狭く感じられます。

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それもそのはず。江戸時代、幕府の天領(直轄地)であった出雲崎は、佐渡で産出した金銀の荷揚げや北前船の寄港地で、また北国街道の宿場町としても大変賑わいました。街には廻船問屋や旅館が建ち並び、働く人々が多くなるにつれ遊郭もできたといいます。

狭い出雲崎の地に2万人の人たちが暮らし、人口密度が越後一になったこともあったそうです。

当時は、間口の広さに対して課税徴収されたことから、賢く間口を狭く奥行きを長くして多くの人たちが居住できる家の造りにしたのが妻入りだということです。

今でも妻入り形式の家並が、海岸線沿いに4kmほど続いていて往時の跡を残しています。

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町内きっての老舗の割烹旅館「みよや」も妻入り形式の建物で、木造2階建て、瓦葺き、切妻屋根で、ベランダが付いた縦長の窓、妻面のハンマービームや湾曲した楣(まぐさ)など様々な意匠が施されたモダンな外観の建物です。

「みよや」の右書き看板文字を、翼を背に付けた天使が手で支えるように描かれているほか、両側の窓上の漆喰壁に鏝絵装飾が施されています。

天使は近世以降、無垢な子供の姿や女性的な姿、やさしい男性の姿を表現するようになったといわれますが、ここの天使はやや腹部に膨らみを持たせて描かれています。

出雲崎は禅僧の良寛さんの出生の地。「子どもの純真な心こそが誠の仏の心」と悟り、子どもたちとよく遊んだという言い伝えがあります。この天使を描いた鏝絵師にも、良寛さんと遊び興じる子どもの姿が思い浮かんだのかもしれません。

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中に入ると妻入りの家らしく、玄関から奥の厨房まで長い三和土(たたき)が続いています。

2階の大広間が「鏝絵の間」と呼んでいる部屋で、中心飾りや格縁(ごうぶち)、繰形(くりがた=モールディング)などに高度な技術が残されています。

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当代で3代目となる主人は、「以前から割烹旅館だったところを祖父が買い取ったと聞いています。一部を改装したものの原形は変えていません」といいます。

建築当初からの和洋折衷の様式を今に残しています。

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この天井部の中心飾りも、とても手の込んだ装飾を施しています。3層に広がる同心円上に描かれた幾何学模様や植物文様のデザインが実に巧みです。

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補助灯の中心飾りはアカンサスの葉飾りをモチーフに、中央灯の中心飾りを引き立たせるようシンプルにデザインしています。

縦縞の繰形や内壁の格縁にも丁寧に鏝が入っています。

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縁の中心部に装飾した一点があります。大きさ、設置位置からいって鏡をはめ込んだ姿見だったのでしょうか。

今は下絵をガラスで覆った額縁風の壁飾りのようになっています。

みよやの北国街道に面した東側正面の延べ37㎡が登録有形文化財になっています。

見学・取材を終えて外に出ると、雨はより勢いを増したようです。

晴れていれば日本海を赤く染める夕日と佐渡が見えるはずなのですが…。

 

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