信州の鏝絵に見る左官職人の技-18   鍾馗と逃げる厄鬼(原村)

壁面に力強く描かれた鍾馗像の鏝絵をどうしても見たくて、原村へ出かけました。手持ちの資料には、「原村払沢のT家」としか記載がありません。

払沢地区をぐるぐるまわったのですが、見当たりません。払沢は結構広いエリアで、他にも鏝絵はありましたがお目当てが探せません。

1週間後、再訪です。今度こそはと思いながら、車を置いて探索しました。これが正解でした。車が入れない狭い道の奥に蔵があり、そこで対面することができました。

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実に隆々とした力強い鍾馗さんが描かれています。長い年月のなかで右手に持った剣など一部が剝落していますが、腰の構え、厄鬼を追う険しい表情がみごとに描かれています。破帽、長靴、衣服なども宋代の時代考証を再現しています。

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おもしろいことに逃げる厄鬼の姿を、壁の曲がりを利用して遠近感を図っていることです。この左官職人さんの造形的センスのすばらしさが現れているのではないでしょうか。

鍾馗が描かれた鏝絵は全国的にも希少であることについては以前にも記しましたが、希少な絵柄が長野県下で2例あることになります。(以前に目にした鍾馗の鏝絵はこちらです)

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この鍾馗の鏝絵の近くに羽を広げたカラスが描かれています。カラスが鏝絵として描かれることがあるのですね。初見です。

このカラスはどのような意を込めて描いたのでしょうか?

T家の蔵には、このほかにもいろいろな鏝絵が掲げられています。

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道に面した側に丹頂鶴に乗った南極老人の鏝絵があります。南極老人は道教の神で南極星(カノープス)の化身といわれ、日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルになったといわれています。

頭が長く白ひげを蓄え、酒を好み赤い顔をしています。巻物と軍配を手に持ち、鹿や鶴を従え長寿を授ける神ということです。

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老人が手にした巻紙に「勲八等」の文字が見えます。叙勲の記念を記しているのでしょうか。留守番をしていたここのおばあちゃんに聞きました。

「お舅さんの兄弟の誰かが貰ったといってたけど…。なんで(どういう功績で)もらっただか古いことで忘れちまっただ」と言っていました。

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強い経口感染症でコレラという病気がありますが、日本で初めてコレラが確認されたのが江戸時代の文政年間で、40年ほど経った文久になってから56万人が発症し多くの人たちの命を奪ったという記録があります。

古くから流行り病として天然痘が恐れられていましたが、コレラは相次ぐ異国船来航と関係し異国人がもたらした悪病であると信じられ、その後、コレラは新たな脅威となりました。

虎は強い力で魔物を寄せつけないということから、壁に鏝絵として描かれたり、虎の装飾瓦が民家に飾られたりしたようです。コレラは「虎列剌」と書き、虎に因んだ字を当てているようです。

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背面の妻壁には龍が描かれていました。

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金の球(宝珠)を抱えています。

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その龍を見上げるように、戸前に猫もいました。猫は招き猫からも連想できるように、千客万来、金運招来を願って描かれます。

 

 

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