庵主さまとムジナ~明科・下押野

むかし、雲龍寺の隠居寺として建てられた青柳庵に、庵主(あんじゅ)さまという尼さんが一人で住んでいました。庵主さまは、村を托鉢(たくはつ)して、ひっそりと暮らしていました。

托鉢してまわる庵主さまの後ろ姿を見て、村の女衆のうわさ話に花が咲いていました。「なんか、わけありなお人みてえだいねえ」「あんねに色白で、むかしはきつとえらく美人だったにちげえねえに、今じゃ、頭丸めてお衣姿だでなあ」「そういやあ、庵主さまの笑い声ってのは、聞いたことねえわなあ」

          104_2(大正期に焼失した後に再建された青柳庵。元の建物では、江戸末期から明治期にかけて寺小屋など村の子どもの勉学の場として利用されていたといいます)

秋が近くなり、ブナ林がわずかに色づきはじめた、ある日の夕方のことでした。托鉢から戻った庵主さまが、外で足を洗っていると「ザックザック、シャキシャキ」と勝手の方で、小豆をとぐような音がしました。「はて、だれぞ見えているのかな」と家の中をのぞくと音はピタリと止みました。

しかし、しばらくすると「ザックザックザック、シャキシャキシャキ」と聞こえてきます。「はて、不思議なことじゃが、今夜は久しぶりに小豆粥(あずきがゆ)でも炊いて、いただきましょうかな」と、音に誘われたように、庵主さまのその日の夕餉は小豆粥のごちそうでした。

それからしばらくしたある日、今度は「ゴリゴリ、ゴリゴリゴリ」と、しきりに味噌をするような音が聞こえてきました。「おやまあ、今度は温かな大根の味噌汁がいただきたくなりましたよ」。

庵主さまは楽しげに独り言をいいながら、托鉢でもらった大根を刻んで、あつあつの味噌汁をいただきました。

     110_2    (庵主さまは、このようなやさしい顔立ちで、ムジナと接していたのでしょうか)

それから、またしばらくした夕暮れ時のことでした。「ズイコン、ズイコン、ズイズイズイ」と、外でノコギリで木を切る音がしてきました。そのうちに「ズイコン、ズイコン、ハッハッハー」と、ノコギリを引く人の息づかいまで聞こえてきました。「こんなに日が暮れてから、気を切る人もいないはずじゃが…」。

そっと外をのぞくと、大きなムジナが一匹、しっぽをぴんと立てて、何かしています。ぴんと立ったしつぽを後ろに倒して、右に左にと揺らしました。すると、しっぽの毛が揺れて「ズイコン、ズイコン」と、ノコギリで木を切る音がしました。

次にしっぽを上下に振ると、「ハツハッハッ」と息づかいの音になりました。ムジナの一生懸命な様子に、庵主さまは「オホ」と小さな笑い声を出してしまいました。すると、ムジナはパッと消えてしまいました。

     Photo                (ムジナの剥製=豊科郷土博物館蔵)

やがて、ブナ林の葉が黄金色に染まり、冷たい風が舞い散るようになったころ、「おー、さむ」  托鉢から帰ってきた庵主さまは、戸口を開けて中に入ってまもなく「トン、トン、、トントントン」   と、戸がたたかれました。

庵主さまは、あのときのムジナだなと、とっさに思いました。「はい、 はい。お入りなさいな」。そういっても「トン、トン」と、戸をたたく音がします。なかなか入ってこ  られないムジナの様子に、庵主さまは、とうとう声を上げて笑い出しました。

     109(青柳庵の前に多数の石仏が安置されていて、市有形民俗文化財に指定されています)

「まあまあ、大きな体をして、ずいぶん気の弱いムジナだこと。オホ、オホ、オホホホホ。はい  はい、それでは今夜は久しぶりに小豆粥を炊くことにいたしましょう。わたし一人ではさびしい  ので一緒にごちそうになりましょうぞ」。

かゆが煮えるいい匂いに誘われて、のそのそとムジナ が入ってきて、やがて庵主さまと小豆粥を食べました。   

しばらくして、村の人たちの間に妙な話がささやかれだしました。「変なことだいね。庵主さまはひとり住まいのはずが、夜な夜な庵から話し声がするってぞ」「あの物静かな庵主さまが、オホホ、オホホと笑い声立ててるのを、聞いたもんがいるっていうしな」。   

時が経つにつれて、噂は大きくなりました。「でっけえムジナが出入りしてるのを見たって話だ  ぞ。庵主さまは、ムジナにたぶらかされてるじゃねえだかい」「おらとこの大根抜いてったのは、そのムジナにちげえねえ。もしかしたら庵主さまがムジナ使ってやってるこんかもしんねえぞ」「なんにしても、気味悪いこんだわ」

             103(青柳庵の境内には、西国や秩父の観音霊場に行けなかった人たちのために念仏塔などを建て、それをお参りすることにより巡礼の代わりにした石塔も残っています)

村の人たちは、だんだん庵主さまを避けるようになり、托鉢で分けてもらう食べ物も少なくなっ ていきました。いよいよその日の暮らしにも困るようになったある日、村の人たちの噂話を耳  にした庵主さまは、ムジナにいいました。

「おまえが来てくれて、本当に楽しく過ごせました。で も、わたしを助けようと大根を抜いてきたりしては、村の人に申し訳がたちません。わたしも年 老いて、目も悪くなってしまいました。わたしの家は越後(=新潟県)にあります。わけあって、長い間帰ることができずにいたけれど、他に頼るところもないのでわたしを越後までつれて行 っておくれ」。   

ムジナは、旅人の姿に化けると、庵主さまの手を引いて越後に向かいました。その後、ムジナが再び戻ってきたかどうかは、誰も見たことがないので分かりません。そして住む人のいなくなった青柳庵は、火事で焼けてしまいました。 

 

       * 「あづみ野 明科の民話」(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。       

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