松本市内から消える明治期の赤レンガ棟

松本市内から明治期に建てられた赤レンガ建造物が、残念ながら取り壊されることになりました。

昨年6月30日、震度5強の地震が松本市を襲いました。死者1人、重軽症者17人のほか少なくない家屋や施設が実害を被りました。

国の有形文化財に登録されている同市丸の内2丁目の旧山崎歯科医院の赤レンガ棟は、損壊を免れたものの壁にひびが入ったほか、壁面の一部が傾くなど大きく損傷しました。

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明治21(1888)年にイギリス積み工法で造られた総2階建てのレンガ造りでしたが、所有者は維持が困難と考え取り壊すことに傾きました。

しかし、市民の間に取り壊しを惜しむ声が強まり、「保存する会」(後に「残す会」に改称)が立ち上がり寄付金を募りながら補修強化して保存する活動が続いていました。

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しかし、残す会の熱心な活動にも関わらず、本格的な修繕補強に約3000万円かかる見込みで、これまでの募金額430万円では間に合わず、買い取った場合の代替地の確保もめどが立たないことなどから、やむなく活動の継続を断念することになりました。

所有者の歯科医も「同規模の地震がくると崩れる恐れがあると言われている。これ以上周辺に迷惑と心配は掛けられない。市には移築をお願いしたが折り合いがつかなかった。個人の力で補修や維持管理をするのは困難で、この建物に住み続けることもできない」と語っています。

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松本市は明治19(1886)年、21年と立て続けに大火に見舞われ、多くの家屋が焼失しました。同レンガ棟はこの大火を教訓に耐火性を考えて造られた長野県下では初期のレンガ建築で、壁面には小ぶりのアーチ窓を開け、寄棟の瓦屋根が載るという構造になっていました。

明治期のレンガ建築の典型を示すとともに技術水準の高さを示していることなどから、昭和41(1966)年に県内で初めての国登録有形文化財となり、多くの市民や観光客から親しまれていました。

 

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