安曇野に架かる橋(22、終回)~水の流れのない橋

穂高有明・豊里の山麓線沿いに、車で通り過ぎると気が付かないのですが、川水が流れていない橋があります。穂高温泉郷の大看板が立っているすぐ近くです。この橋には、名がありません。

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川床には、沢山の玉石が整然と敷き詰められ、橋の欄干には旧穂高町の町花だったシャクナゲの花が刻まれています。

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急峻な山々を背にして暮らしている地域の人々は、台風や急激な気候の変化がある時、山に降り注いだ大量の雨水がいつどのようにして流れ落ちてくるのかの不安があります。

この橋と川床は、実は大水が降った時、土石流などの導流路となる災害時に備えた人工のものです。

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安曇野市内では、こうした導流路がほかにもあります。

かつて明科・荻原の蜂ケ沢上流部は、軟らかい礫岩(れきがん)層のため雨などによる浸食が激しく、流れ出た土砂によって下流に川底が周辺の地面より高い天井川ができました。

水が出ると田畑を流失させたり埋没させたり、地区を分断した“荒れる沢”としての歴史があります。

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上流からの土砂の流出を防ぐため、明治時代から砂防工事が行われてきましたが、長く天井川が解消されず、国道19号は天井川の下をトンネルで通過するという状態が続いていました。

昭和60年代に上流に堰堤を造り、下流域では流路を掘り下げる大規模な工事が行われ、平成4(1992)年になってようやく天井川が解消されました。

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いま天井川の石積み流路工は、砂防の歴史を後世に伝えるため蜂ケ沢砂防学習公園として整備され残っています。

                               

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安曇野に架かる橋として、全22回にわたって主な橋をご紹介してきました。言うまでもなく、水は人が生きていくために欠かせないものですが、急峻な山河に囲まれた安曇野は幾筋もの川の流れによって、人の往来が阻まれても来ました。

往来のため一つひとつの橋には、渡し舟、木橋、土橋、鉄材やコンクリートによる“永久橋”など、長い年月、水との格闘を刻んできた歴史があります。

架橋によって交通の便が良くなり日常生活も至便になった今、地域の人々にとってはさまざまな思い出や願いが詰まっているようにも見えます。

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