最盛時の昭和17(1942)年当時、三基の達磨窯があり同25(1950)年ころまでは煙を上げ瓦を焼いていたという、この集落に生まれ過ごしてきた男性から聞いた話が頭に残っていました。
もっとよく探すとまだあるかも知れないと思い立ち、後日、集落の隅々まで鍾馗さんを探索しました。
「新しい鍾馗さんはいませんか」と、心でつぶやきながら探したもののそう簡単には見つかりません。少し歩き疲れて視線の先を下にやった時でした。民家の庭先の2カ所に、なにやら瓦で葺かれた小屋根の下に何かが祀られています。
安曇野では道祖神や二十三夜塔、大黒天などの石像がこうして祀られている場合があり、「道祖神かな?」と思いながらも覗きこむと、鍾馗さんではありませんか!
浮き彫りの鍾馗像で、技巧的に優れたものとは言えないものの、どことなく親近感が湧く雰囲気をもった鍾馗さんです。
ここの主人は「曾じいさんが建てたという蔵の上に在ったものだで、百年は経っているでねえかい。蔵を壊した時、一緒にこれ(瓦鍾馗)も処分するかちゅう話もあっただが、偲びねえでこうやって残しただ」と、話してくれました。
今日まで無事残り、屋根まで作ってもらって大事にされている姿を見ると、ホッとしますね。
「オラたちが小さかった時、学校から戻ると裏山で松の枝を拾って来て、瓦屋に持って行くと駄賃がもらえただ」とも。松は火力が強いことから瓦の焼成には重宝されたようです。
もう少し探すと新たに一体、玄関近くの小屋根に上がっていました。
家は新築されていますが、鍾馗さんが代々受け継がれ今も残ってこの宅の安寧を見守っている姿を見て、これまた嬉しい気持ちが湧いてきました。