機織りの音~明科・本町

むかし、龍門渕の近くに、およねという娘が住んでいました。およねは、よく働き暇を見つけては機(はた)を織って、家の暮らしを助けていました。

「ふんと(本当)におよねさは、器量も気だてもよくて、娘っこだ」と、およねの噂は村中に広がり、庄屋の息子、伊兵衛の耳にも入りました。

          151                    (およねも、こうして機を織っていたものと思われます=穂高郷土資料館)

そして、祭りの日におよねを初めて見た伊兵衛は、たちまちおよねのとりこになってしまいました。「いままで何人ものおなごと会ったが、あんなに気だてのいい娘は初めてだ」と強く惹かれるようになりました。

およねも、伊兵衛と二度三度と会っていくうちに、だんだんと伊兵衛に好意を寄せるようになりました。そして、二人は夫婦になる約束をするようになりました。

伊兵衛は、このことを父親に話し、許しをもらおうとしました。しかし、「馬鹿言うでねえ。おらうちと、およねのうちとでは身分が違う。ぜったい許さん」と、きつく反対されました。

     Photo_2(龍門渕は、かって犀川の本流を遮る岩が突出して流れが渦をまくなど難所だったといいます。現在は改修され、穏やかな流れに変わっています)

でも、反対されればされるほど、二人は前にも増して惹かれるようになっていきました。とはいっても、身分の違いはどうしようもなく、周りの人たちもがあきらめるよう二人を説得しました。およねは、この世では思いこがれる伊兵衛と一緒になれないことを悟るようになりました。

雨がしとしと降りしきる夜、思い余ったおよねは龍神さまの祠(ほこら)の前で手を合せました。「龍神さま。わたしの願いを聞いておくれ。この世じゃ伊兵衛さんと夫婦になれなんだが、どうかあの世では一緒にさせておくれや。おたのもします。わたしが先に行って待っています」。

そういって一心にお祈りした後、周りにある小石を袂(たもと)につめ、手を合わせたまま水の中へ飛びこみました。

     Photo_2(龍門渕の畔にある龍神宮の祠。犀川の荒れるのを鎮めるほか、干ばつの時の雨乞いの神としても崇められました)

およねのなきがらが浮き上がったのは、それから三日後でした。およねの弔いは、身を投げた龍神さまの祠の近くで執り行われました。

およねのおとっさまと、おっかさまは、弔いの最後に、およねが好きだったユリの花を「頼むで。伊兵衛さんを引きこむなよ」といいながら、渕へ投げ込みました。

それからひと月あとの七月七日に、今度は伊兵衛がおよねの後を追いました。しかし、死に切れず渕に漂っているところを、村の人に助け出されました。

介抱されて目を開けた伊兵衛は「およねは、川の中で機を織っていた。『カターン、コトーン』といい音だしててせ。だで、いくら話しかけても振り向いてくれねえだ。おらが『いま行くぞ』と言ったら…、助けられただ。もうじき、およねに会えると思ったのに…」と、涙ながらに語りました。

この話を聞いたおよねのおとっさまとおっかあさまは、「今日は七夕だから、龍神さまが二人を引き合わせてくれたに違えねえ」と考え深そうに言いました。それから今でも、七夕の夜、龍門渕に立つと、きれいな機を織る音が聞こえてくるということです。

* 「龍の貸しもの」(平林治康 著)、「語りつぐ民話」(信濃毎日新聞社編)を参考にしました。

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