安曇野に架かる橋(9) 石楠花が描かれている高瀬橋

安曇野市と池田町の間を高瀬川が流れ、そこに架かっている橋が高瀬橋です。ここに最初に橋が架かったのは、明治17(1884)年、今から130年ほど前になり木橋でした。

穂高島新田と池田会染を結び、それ以前は北国脇往還道上にある重要な渡しで、古くから渡舟がありました。「高瀬の渡し」と呼ばれ、渡舟銭は2銭だったということです。

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川の中央部が2市町の境になるのですが、川は区切れませんので橋の中央部で安曇野市と池田町に分けています。その目安として橋げたの飾り物にそれぞれを代表する花木をデザインしています。

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安曇野市側は石楠花(しゃくなげ)、池田町側にはラベンダーが描かれています。

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高瀬川は、秀峰・槍ヶ岳に源を発します。北アルプスの尾根沿いに流れ大町市の西側に達し、北アルプスと大峰高原に挟まれた安曇野の盆地を南流し明科・押野崎で犀川と合流します。その間、約56㌔㍍になります。

そして、ここを流れた川水は日本海に注ぐまで284㌔㍍の長旅に出ます。

現在の橋は、平成12年に竣工しましたが、それ以前は下の写真のような鉄筋コンクリートローゼ橋でした。昭和28(1953)年に池田鉄道の橋桁を再利用したものでした。

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池田鉄道は信濃鉄道(今のJR大糸線)の安曇追分駅から分岐して池田町までの6.9㌔㍍の間を走行した電気鉄道です。大正15(1904)年に創業したもののまもなく経営不振が続き、11年8ヵ月後の昭和13(1938)年に廃止に追い込まれ極めて短命に終わった私鉄のことです。

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池田町の七色カエデが色づく頃、全国から紅葉狩りに訪れますが、この大カエデがあるのが大峰高原です。大峰高原は、活断層の糸魚川静岡構造線(フォッサマグマ)の活動で隆起した山地になります。

そして、このフォッサマグマの活動により沈降した窪地をぬって、槍ヶ岳の雪解け水を集めて高瀬川が流れています。

* 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。

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