サルのたたり~明科・清水

むかし、清水に梅三じいがヤギやニワトリを飼って暮らしていました。餌をやろうとして小屋に行くと、小屋の戸が開いていました。「ちっ、サルのしわざだな。夕べ、しっかり木鍵(きかぎ)をしていったのにな」といまいましく思いながらヤギを探していると、畑の端で草を食べていました。

連れて帰ろうとすると、「そら、おらとこのヤギだ。梅三じいのヤギは、おらとこのヤギ小屋にいるで」と、隣の長作の息子の佐吉が後ろから声をかけました。

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「そう言やあ、おらとこのヤギはあごひげはなかったな」と、間違ったことに梅三じいは気がつきました。「こんど見つけたら、こっぴどく傷みつけてやる」と二人はサルのいたずらにかんかんでした。梅三も佐吉も手ぐすねひいて待っていたのですが、その後、サルは姿を現しませんでした。                                    

それから三月ほど経ったある日、梅三じいは裏の畑で麦を播いていました。自分を誰かか見ている気配を感じて家の屋根に目をやると、あのいたずらザルが屋根の上にいたのです。梅三はサルに気づかれないように、そっと佐吉に知らせに行きました。

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佐吉は、待ってましたとばかり、小脇に弓を抱えて出てきました。佐吉は物陰に隠れ「サルめ、おらが射落としてくれるわ」と、弓に矢をつなぎ、糸を引きました。「佐吉、ちっと、ちっと待て。あれはなんだ」と梅三じいが止めました。

サルは二人の方を見て、弓で撃たないでくれというような仕草で手をすり合わせているように見えます。よく見るとサルのお腹が大きく、身ごもっているようです。

梅三じいは、佐吉から弓を取り上げました。サルは命拾いしたお礼をするように、なんども頭を下げて森へ帰っていきました。

             090(弓矢で撃たないでと哀願したときのサルの表情と仕草はこんな具合だったでしょうか=大町山岳博物館蔵)

そんなことがあってから数日経った日の朝、まだ寝ている佐吉の家の戸をたたく音がしました。戸口へ行ってみると、だれもいません。「また、あのサルめが来たな」と、急いで弓と矢を持って、戸口の内側に隠れて戸をたたくのを待ちました。
やがてドン、ドンと再び戸をたたく音がしました。佐吉が思いっきり戸口を開けると、やはり、あのサルでした。佐吉は、すばやく弓に矢をつがえ、糸を引きました。                                    

サルは森に向かって、懸命に逃げていきました。その後ろ目掛けて、手を放つと鋭く飛んでいった矢は、サルの背に当たりました。サルは苦しそうにもだえていましたが、やがて息絶えてしまいました。その姿を見届けた佐吉は、梅三じいの家へ向かいました。

梅三じいは、ニワトリを小屋に入れているところでした。「ゆんべ、いたずらサルにまた戸を開けられただ。六羽は見つけただが、あと三羽が見つからねえだ」とぶつぶつ言っています。

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「あそこだで」と佐吉は柿の木を指さしました。梅三じいは、やっとのことで木から三羽のニワトリを降ろし、小屋にいれました。そんな梅三じいの姿を見ていた佐吉は、サルを射止めたことが話せませんでした。

                   217(佐吉がサルを射った弓矢は、このようなものだったのかも知れません=堀金民俗歴史資料館蔵)

サルが息絶えてから、少し経ちました。不思議なことに、あんなに元気だった佐吉が病気になってしまいました。それから少し経って、佐吉の父親が木から落ちて大けがを負いました。そして母親も、山仕事をしていて木の枝で目を突いてしまいました。佐吉の家のものがみんな働けなくなってしまいました。

そんなことが、村の人たちの口から口へと伝わり、サルをいじめたらたたりが及ぶと言い伝えられるようになったということです。                                    

   

          * 『 明科の伝説 岩穴をほった竜 』(降幡徳雄著)を参考にしました。                               

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