穂高・牧の山間部に満願寺という古刹があり、近くを流れる烏川の支流に「微妙橋」、通称「お経橋」が架かっています。
初めの橋は1500年代に架けられたという古文書があります。現在のものは明治39(1906)年に架け替えられた新しい橋ということですが、悠に100年を超えます。
切妻造りの屋根付き、太鼓橋です。橋長15m、橋幅3.6mあります。
なぜ「お経橋」の別名があるかといえば、橋板の裏面に梵字の経文が書かれていることによります。その経文も長い年月を経る中で褪せてきています。
橋のたもとには六地蔵が立っていて、この地蔵尊をお参りしてからお経橋を渡るのがよいとされます。
極楽浄土に往生のかなわない衆生は、必ず地獄へ堕ちるといわれ、地蔵尊が地獄での責め苦から救済してくれるのだといいます。
橋の下を流れる川(烏川の支流)を三途の川に見たて、お経の書かれている橋を渡ると極楽浄土に導かれるとして、昔は各地から参拝に訪れる善男善女がひきりなしだったということです。
弥次さん、喜多さんが登場する滑稽本「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」の作者・十辺舎一九も満願寺を訪れているという記録がありますので、一九も架け替え前のお経橋を渡っているかもしれません。