姿を消した安曇野の“山の学校”…明科・峯方分教場

元日のこと、横浜と東京から家族が集まりお雑煮とおせち料理をいただいたあと、恒例となっている初詣へ。そして、安曇野を散策しようと明科・潮沢の旧篠ノ井線の廃線敷きと赤レンガ造りの漆久保トンネルへ足を伸ばしました。

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廃線敷きは数年前から整備が進み、6キロほどのウォーキングコースとして生まれ変わりました。それによって新緑から紅葉の時期まで市内外から多くの人たちが訪れるようになっています。

トンネルが近づくにつれ、初めて見る懐かしく珍しい光景に、一目見て歓声が上がりました。中でも中学生と小学生の孫たちは、色褪せた赤レンガに触れて見たり、高い架線柱を見上げたりで大変好評でした。

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廃線敷きの下を流れる小川にも赤レンガ積みの隧道があるので降りてみました。川には薄氷が張っていて、恐る恐る棒でつっいたりして…。都会に住む子には、なかなか体験できないことを短い時間で味わってご満悦な表情。

たっぷり見学した後、ふと思いついて「近くに昔の小さな学校があるけど見てみる?」と聞くと、子どもたちからも「見てみたい!」ということで、さっそく出かけたのですが…。

ない、ないではありませんか! 入り口道にロープが張られ、奥の分教場はすでに取り壊され、さら地になっているではありませんか。

実はこのさら地に、下の写真にあるような木造2階建ての分教場があったのです。写真は昨年の夏、筑北村へ行く途中、目に留まり撮ったものです。

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この建物、明治20年ころに開設された分教場で昭和7(1932)年に改築され写真のような木造2階建ての造りとなって、昭和36年まで使用された歴史を持ちます。分教場閉鎖後も保育所や授産施設として、平成16年まで活用されていたといいます。

「老朽化が進んだため」というのが、取り壊した理由とか。いつも同じ説明です。昭和年代の建造物ですので、「老朽化」するのは当たり前。傷んだところに手を入れて、教育文化遺産として遺すことはできなかったのでしょうか。

例えばウォーキングを楽しんだ人たちの休憩所として提供するとか、映画撮影用の建造物(フィルムコミッションライブラリー)としての活用法などは考えなかったのでしょうか。

明治時代の面影を残す赤レンガ造りのトンネルと廃線敷き、昭和の時代を彷彿とさせる木造の山の分教場。遺ったものと取り壊されたもの、なにか大きなものを失ったようなさびしい気持ちを抱いた新年の幕開けでした。

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