下堀の諏訪神社の鳥居を入ると、すぐ右手に多賀神社が祀られています。ここのご神木は、「夫婦(めおと)松」とよばれるアカマツで、二本の松の木がよじれて、い
かにも仲の良い夫婦が抱き合っているように見えることから、昔からそう呼ばれてきました。
(多賀神社は、延命長寿、縁結び、家運隆昌などを祀った神ということです)
むかし、与作という男がいて、嫁をもらって五年経ちましたが、いっこうに子どもが授かりません。このため最近は、嫁のさちとの間で、子どもを授から
ないのは「おまえのせいだ」「お前さんのほうこそ」と、いさかいも多くなってきていました。
この日も、子宝をめぐって言い争っているのを与作の母親が聞いて、「二人でなにを言い合っているだ!どっちが悪いなんて言えるか。そんなことより、
お諏訪さまの多賀神社へお参りしると、ご利益があるというでねえか」
与作とさちの二人も、口げんかしているより、人がいいということを素直に聞いてやってみる方がいいと思い直し、さっそくその夜から願掛けに行くことにしま
した。
その日の願掛けが終わってから、与作は言いました。「さちや、
三日三晩のお願いしてみるだいな」「おまえさんも一緒に来てくれるずらい?一人でこんな暗いとこへ来るなんて嫌だね」
「よしよし、わかったよ」と話しな
がら、提灯(ちょうちん)の明かりを頼りに、手をつないで暗い夜道を帰りました。
(子どもが欲しい夫婦にとっては願掛けも盛んに行われました。明科・池桜の江戸期に作られた接吻道祖神もこうした人たちによって祀られたのかもしれません)
与作とさちは、その後、朝も夜も願掛けに通いました。三日目の夜、二人が拝んでいるとザワザワと音がしました。「おまえさん、何かがこっちへ来るようで、
おっかねえわい」。
「もっとこっちへ寄れよ」と与作は怖がるさちをしっかり抱きかかえ、提灯をさっと突き出すと、「あれまあ、仲のいいことで。与作さでね
えか。なんでここにいるだ?」と聞き覚えのある女の声がしました。
「おめえは、まつじゃねか。おめこそなんで…」と聞くと、まつは家中のものから子が授からねえと責められ、仕方なくここへ願掛けに来ているとを話しました。
「そうか、おらたちも同じさ。さちが一人じゃ嫌だというもんで、おれも付き合っているだ」 「与作さは、こんねにやさしいで、きっと子宝が授かるわ。うちの平蔵は、わしを責めるだけでだめだわ」「子宝は、二人して授かるものさ。平蔵にも頼めよ」
それから後、一年ほどして、さちは女の子を産みました。風の便りに、まつも男の子が生まれたと与作は聞きました。
この与作とまつの願掛けの話が広がり、「夫婦松」にお参りすると必ずや子が授かるということが長い間信じられて、夜な夜なにぎわったということです。
* 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。