子宝杉~穂高・宮城

有明山の麓に、子宝杉というスギが立っています。幹は、大人が五人でやっとかかえるほど太く、木のてっぺんは、空に突き刺さっているかのように高く伸びていました。
今から百年ほど昔のことです。子宝杉は千年杉と呼ばれていました。この木の横に寺がありました。

近所に住む杉造は、畑仕事の帰りに必ずここに寄りました。そして、お寺の前で手を合わせたあと、千年杉に近寄りポンポンと幹をたたきます。

杉造には十歳のときに亡くなったお父が、よく杉造を千年杉のそばに連れて来ては、「お前の名前は、この杉からもらっただ。この木のように、強く、まっすぐに、大きくなるんだぞ」といっていた思い出がありました。

              072_2(安曇野市内でも屈指の巨木で市の天然記念物に指定されている子宝杉。胸高直径約1.8㍍、樹高28㍍、樹齢は不明だそうです)

お父が亡くなってからというもの、杉造はお母と二人でせっせと働き、その日その日をやっと過ごしていました。悲しい時や苦しいとき、千年杉のところへやって来て、幹に触ってみるのでした。すると、お父に会えたような気持ちになって気持ちがやすらぐのでした。

二十歳になった杉造は、みよという嫁をもらいました。そして毎日、夕方になると千年杉を拝みに行きました。

ある日の夕方、二人でいつものように千年杉を拝んでいると、お寺の裏の方から焦げくさい臭いと煙が見えました。焚き火かなと思っていると、今度はお寺の屋根から火の手が見えます。

「こりゃ火事だ」と杉造は叫び、二人は井戸場から水を汲んできて燃え盛る火にぶちまけました。

しかし、運悪く風が吹き始め、火はどんどん広がっていきました。火事に気づいた和尚さんもあわてて出てきて「ご本尊を。本尊を!」と叫びました。杉造と和尚さんは、煙の中からやっとの思いでご本尊を運び出しました。

           075                      (子宝杉の近くの山の手に小さな石仏が並んでいます)

村人たちが集まった時には、お寺はすっかり火にまかれ、その火は近くの林の方まで燃やし始めていました。杉造は、千年杉が心配で、幹や枝に一生懸命、水をかけてやりました。しかし、とうとう枝に火が移りました。

「千年杉も助かるまい。山に広がらないように、周りの木を倒すぞー」と、村人が叫びました。
その時です。不思議なことが起こりました。

千年杉の幹から白い汁が吹き出して、それが霧のようになって林に広がり始めたのです。そして、枝からも葉からも、後から後から白い汁が吹き出してきました。
お寺も林も、深い霧に包まれたようになりました。そして、辺りが見えなくなってしまいました。すると、あれほど勢いよく燃えていた火の力が弱まってきました。

                            066                (焼け落ちたお寺は再建され、正福寺として祀られています)

やがて霧が晴れていき、周りを見渡すと火が消えています。焼け落ちた寺はくすぶっていましたが、千年杉は枝や幹が少し焦げただけで無事でした。「千年杉が守ってくれた」「ありがてえ、ありがてえ」と村人たちは口々に言いつつ、千年杉に手を合わせました。

それからしばらくたったある日、いつものように千年杉に手を合わせに来た杉造とみよは、千年杉のそばに杉の子が生えているのを見つけました。「火事から守ってくれた千年杉が子どもを産んだ。みよ、おらたちも子宝が授かるようにお願いしずよ」

           Photo     (ことし芽を出した杉の子。杉造が見つけた杉の子もこんな姿だったでしょうか)

杉造とみよは、それから朝夕、千年杉にお願いしました。そのかいあってか、杉の花粉が飛ぶころ、みよはかわいい赤子を産みました。

このことが村中の評判になり、みよにあやかって「子宝をお授けください」とお参りに来る夫婦がたくさん訪れるようになり、人々は千年杉をいつしか「子宝杉」と呼ぶようになりました。

 

    * 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。

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